カタールワールドカップアジア最終予選を戦っていたサッカー日本代表は、「戦術伊東」とか「戦術三笘」と言われたりもした。彼らの「個」の力に寄りかかり、チームとしての崩しのパターンが見られないことへの批判だった。
個人の「質的優位」を強みとするのは、W杯の出場国にも見られた。分かりやすいのはアルゼンチンだろう。
クロアチアとの準々決勝では、リオネル・メッシが先制のPKを決め、3点目のアシストを決めた。勝利を決定づけたアシストは、今大会で一躍脚光を浴びたクロアチアのグヴァルディオルを翻弄するものだった。
メッシの「個」の力が存分に発揮されたシーンだったが、彼のドリブル突破に合わせてフリアン・アルバレスがゴール前にポジションを取っている。さらに言えば、右サイドのスローインをグヴァルディオルの圧力を受けながら、メッシへつないだのもJ・アルバレスだ。
メッシという「個」が存在しなければ、クロアチア戦の得点は生まれなかったかもしれない。同時に、「こうなったらこうする」というイメージの共有がなされていたのも確かだろう。
J・アルバレスがハーフライン手前から単独で持ち込み、個人で決め切った2点目も、背番号9にパスをつないだのはメッシである。「メッシがボールを受けたらどう動くのか」について、アルゼンチンの選手たちに迷いはないのだ。
■「自分たちが主導権を握るチーム」でプレーする日本人選手は…
ひるがえって、日本代表である。
ドイツ戦とスペイン戦では、前線からのハイプレスで試合の主導権を奪い取り、それだけでなくゴールも取りきった。どのゴールも偶然ではなかった。
得点シーン以外の好機はどうか。
そもそも、チャンスと呼べるものはさほど多くない。
ドイツ戦なら70分過ぎに、酒井宏樹が至近距離から狙った場面があった。コスタリカ戦は後半開始直後に連続攻撃からゴールへ迫った。スペイン戦は2対1とリードした直後に、三笘薫の突破から浅野拓磨がフリーでシュートする場面があった。
クロアチアとのラウンド16では、前半40分過ぎに決定機をつかんでいる。遠藤航がペナルティエリア手前から縦パスを入れ、鎌田大地が相手をかわして右足でフィニッシュした。確実に枠へ持っていきたい場面だった。
相手GKがセービングで防いだ場面はもう少し多いだろう。ただ、得点シーン以外でゴールをはっきりと予感させたシーンは、それほど多くなかった。
なぜか。
「こうなったらこうする」というイメージの共有が、限られていたからだった。日本の攻撃は「再現性」が乏しかった、と言うこともできる。
これについては、選手たちが過ごす日常と無関係でない。
欧州各国リーグに散らばっている日本人選手のなかで、自分たちが主導権を握るチームでプレーしている選手は多くない。アーセナルの冨安健洋、フランクフルトの鎌田、レアル・ソシエダの久保建英くらいだろうか。スポルティング・リスボンの守田英正も、そうしたサッカーを日常としている。
彼らのチームも守備に軸足を置くことはあるが、自分たちでボールを持つサッカーをしている。セルティックの前田大然も同様だが、欧州の舞台では苦戦を避けられない。
彼ら以外の日本人選手が、ポゼッションをしながら相手を崩すサッカーをしていない、と言うつもりはない。ただ、そういうサッカーをしているとしても、チーム内で攻撃の中心になっているかどうかを問うと、そうではない選手のほうが多い。
「ここは攻める時間だ」とか「ここでいく」といった方向性を示すよりも──それはメッシやモドリッチのような役割を担っている選手だ──中心たる選手のシグナルを受けて動く、という立場の選手が多いのだ。
■「ベスト4」モロッコ代表選手はパリSG、バイエルン、チェルシー…世界のトップクラブでプレーしている
日本が目ざしたベスト8のチームを見ると、リーグの上位を争うクラブの所属選手がいる。クラブという日常で磨かれる「主導権を持って崩す」感覚は、代表チームにも確実に生かされているのだと思う。
アフリカ勢初のベスト4進出を果たしたモロッコにしても、技巧派レフティーのMFハキム・ツィエクはチェルシーで、ポルトガル撃破のヘッドを決めたFWユセフ・エン=ネシリはセビージャでプレーしている。
右SBのアクラフ・ハキミはパリSGのレギュラーで、左SBで起用されたヌサイル・マズラウィはバイエルン所属だ。強豪相手に対して攻めることは、彼らにとって非日常ではなかったのだ。
組織的に戦うことについては、2週間ほどで世界のトップから勝利を奪うレベルへ持っていけることを、今回のカタールW杯で証明した。だとすれば、「個」のレベルをさらに上げることで、日本が強みとする組織力はさらに際立つ。
「個」の劣勢を組織で補うのではなく、「個」の優勢が組織を輝かせるようなチームを、4年後へ向けて目ざしていくべきだと思う。