2022FIFAワールドカップカタール(カタールW杯)もいよいよ最終局面。3位決定戦(クロアチアVSモロッコ:12月18日0時)と決勝(アルゼンチンVSフランス 12月19日0時)を残すのみとなった。強豪国の戦いぶりはもちろん、数々のジャイアントキリングやアジア、アフリカ勢の躍進もあり大いに盛り上がった今大会。各国に「英雄」と称えられるような選手も多く誕生していると言えるだろう。
残る2試合でも当然後世まで語り継がれるであろう選手は数多くいるが、注目はもちろんリオネル・メッシ(アルゼンチン)とキリアン・ムバッペ(フランス)だ。特にメッシは、今大会を自身最後のW杯と位置付けている。それだけに、バロンドール7度の受賞を誇る英雄の最後がどんな結末になるのか。W杯の歴史の中でも屈指の、注目度の高い決勝戦となることは間違いない。
ここでは、メッシの代表選手としての物語の最後を見る前に、これまでW杯の歴史の中で人々の記憶に刻まれたレジェンドたちを、彼らのW杯でにおける最後の姿も交えて紹介していく。
クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル)
アルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(パリ・サンジェルマン)と並び、世界最高の選手と称されるポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(無所属)。37歳と大ベテランになったが、今カタールW杯にも出場し母国のベスト8進出に貢献した。メッシと同じく、年齢的にも最後のW杯との見方もあったロナウド。ポルトガルの初優勝を叶えられず、涙を流してピッチを去る姿が印象的だった。
ロナウドは今大会、グループリーグのガーナ戦でゴールを決め、史上初の5大会連続となるW杯での得点を記録。しかし、そんなロナウドでさえこれまで決勝トーナメントでは1得点も挙げられていない。世界最高と呼ばれる選手であっても、それほどまでにW杯という舞台は難しく制覇への道のりは険しいものなのだろう。
ジネディーヌ・ジダン(フランス)
近年のW杯の決勝で、最も印象深い選手は元フランス代表MFジネディーヌ・ジダンではないだろうか。しかし、それはジダン本人にとっては不本意なものであることは間違いない。
1998年のフランスW杯で自国の初優勝に貢献。2006年のドイツW杯では大会後の引退を公言し、まさに集大成として挑んだ。フランスは無事決勝まで勝ち進み、最後の相手はイタリア。堅い守備を誇る国を相手取りながらジダン自身のPK成功により先制したことで、世界中のサッカーファンも有終の美を飾ることに疑いを持つことはなかっただろう。ところが、試合は延長戦までもつれ込みまさかの結末が訪れる。相手DFマルコ・マテラッツィに対して、ジダンが頭突きを見舞い一発退場を言い渡された。最終的にフランスはPK戦の末敗れ、ジダンの選手としての挑戦は終わった。
2022年11月、一部報道ではジダンの次期フランス代表監督就任内定が報じられた。今カタールW杯でも優勝まで王手をかけているフランス。ジダンは2006年の忘れ物を監督として取りに行くために、そして母国の黄金時代を盤石なものにするために、近々W杯の舞台に戻ってくるのかもしれない。
ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)
W杯という舞台を語る上で、欠かせないのが元アルゼンチン代表FWディエゴ・マラドーナと言えるだろう。アルゼンチンの優勝に大きく貢献したということはもちろん。「神の手」や「5人抜き」といった象徴的なプレーで大舞台を湧かせたというのも大きな理由だ。
一方で、マラドーナ自身にとっては不本意だろうが、W杯の去り際も歴史に名を残す1つの要因と言える。キャプテンとして挑んだ1994年のアメリカW杯。強力な攻撃陣の一角を担ったが、ドーピング検査で使用禁止薬物が検出され大会から追放されている。
アルゼンチンではしばしば、有望な選手を指して「マラドーナの後継者」と呼ぶことがある。今カタールW杯でアルゼンチンを決勝まで導いたFWリオネル・メッシは、該当する選手として長く期待を背負ってきた。実績を見れば、メッシはマラドーナと比較しても余りあるほどの名声を手に入れている。しかし、W杯というタイトルを手にしていないことは確かだ。今大会でアルゼンチンの優勝が叶ったときはじめて、メッシはマラドーナの後継者論争に終止符を打てるに違いない。
フランツ・ベッケンバウアー(ドイツ)
「皇帝」の愛称で親しまれるドイツの英雄、元ドイツ代表DFフランツ・ベッケンバウアーもW杯の歴史に欠かせないレジェンドの1人だ。選手としては1974年、地元西ドイツW杯でヨハン・クライフ率いるオランダとの決勝戦を2-1で制し優勝に貢献。その後は代表監督となり、1990年のイタリア大会で監督としてもW杯を制し、W杯史において現フランス代表のディディエ・デシャン監督を含め3人のみが持つ、選手、監督の両方でW杯を制した記録を残している。
また、2006年のドイツ大会では、W杯組織員会の委員長を務め大会運営に尽力。選手として3回、監督として2回、そして組織委員として1回の計6回W杯を経験した。2010年には国際サッカー連盟(FIFA)の理事も退任し、表舞台からは姿を消している。しかし、ベッケンバウアーのW杯での功績は後世まで語り継がれることだろう。