カタールワールドカップはアルゼンチン代表の優勝で幕を閉じた。

 歴史に残る激闘となったフランス代表との決勝。延長戦まで120分間を戦い、PK戦でアルゼンチン代表の最後のキッカーを担ったのはDFゴンサロ・モンティエルだった。

 後半の終盤から途中出場していたモンティエルは、右サイドバックを主戦場とする選手。にもかかわらず優勝が決まる可能性がある場面でPKキッカーを任されたのには、しっかりとした理由があった。

 アルゼンチン『TyCスポーツ』によれば、モンティエルはこれまで公式戦でPKを外したことがないという。現所属クラブのセビージャではまだPKを蹴る機会がないものの、リーベル・プレート時代はたびたびキッカーを任されて貴重なゴールを記録してきた。

 現在のモンティエルのあだ名は「カチェーテ(頬)」だが、リーベル・プレート時代は「アレマン」と呼ばれていた。日本語に訳すと「ドイツ人」という意味になる。由来は真面目すぎるモンティエルの性格にあるという。

 先述の『TyCスポーツ』によると、モンティエルがトップチームに昇格した当時のリーベル・プレートを率いていたマルセロ・ガジャルド監督が「ゴンサロはサッカーのために生きている。この時代にしては異様な考えの持ち主だ」と気づいた時、そのイメージが「ドイツ人」と結びついた。

 当時の主軸だったベテランのDFホナタン・マイダナやMFレオナルド・ポンシオらと似たようなメンタリティを持っていて、ガジャルド監督は「ゴンサロは精神的支柱としてプレーしなければならないような選手ではないが、20歳でベテランのような考え方を持っているのは普通ではない」と述べたという。

 モンティエルは現在25歳。精神的に成熟し、30代のベテランのように振る舞える。ワールドカップ決勝の舞台で途中起用されたのは、右サイドバックに入っていたDFナウエル・モリーナの体力面を考慮したことだけが理由ではないだろう。

 PK戦も見据えて、キッカーとしての素養を持つ選手を投入する意味合いもあったはずだ。リオネル・スカローニ監督が送り出した「PK要員」は、FWパウロ・ディバラだけではなかった。

 迎えた運命のPK戦。両チームとも1人目は成功させたが、フランス代表は2人目のFWキングスレイ・コマンとMFオーレリアン・チュアメニが失敗。アルゼンチン代表の優勝が決まる可能性が出た4人目として、モンティエルがペナルティスポットにボールを置いた。

『TyCスポーツ』は「アルゼンチンサッカー史上、過去36年間で最も難しいPK」と書いた。しかし、「勝利は足もとにある。4732万7407人のアルゼンチン人がプレッシャーを感じている。いや、実際には4732万7406人だ」とも。モンティエルは極限の重圧がのしかかる場面でも、平常心を保っていた。

 なんと、フランス代表GKウーゴ・ロリスを相手にいきなりPKの蹴り方を変えたのである。準々決勝のオランダ代表戦でもPK戦の3人目のキッカーとして成功させていたが、その時はしっかりとボールを見てインサイドキックで丁寧にシュートした。

 ところが決勝ではノールックでPKを蹴ったのである。ボールを置き、深呼吸をして、助走に入り、思い切り右足を振り抜く。そこまでの一連の動作に迷いは一切く、いつもと違うことをする余裕すら見せたのである。

「アルゼンチン人が写真を見るたびに心を麻痺させるようなノールックで挑発した。それは間違っているのかもしれない。だが、『アレマン』は失敗しない」

 試合後に『TyCスポーツ』はそう書いたが、記事の終盤で改めたうえで「静かな英雄」を称えた。

「『カチェーテ』は『ドイツ人』ではない。彼はアルゼンチン人だ。4732万7406人の同胞の誇りであり、ルサイル・スタジアムでの最後のシュートをゴールネットに突き刺した時、アルゼンチン人の喉を引き裂いた」

 今大会で大活躍を披露したFWフリアン・アルバレスやMFエンソ・フェルナンデスらと同じ名門リーベル・プレートの出身だが、アルゼンチン代表においてモンティエルは脇役に過ぎなかった。

 最後の最後で英雄となった25歳のサイドバックは「サッカーのために生きて」きたことの正しさを1本のPKで証明し、アルゼンチンに36年ぶりの歓喜をもたらした。「ドイツ人」のような真面目さと鍛え上げた強靭な精神力によって、モンティエルは母国の英雄の1人となった。

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