子どもにとって必要だとわかっていても、教えづらい「性」の知識。そして自分らしく生きるために、必要な「性」の話は、誰がどこまで教えるべきなのか。
そんな中、話題を集めているのが書籍『なぜオナニーはうしろめたいのか』(星海社新書)だ。本書に掲載されたオナニーの歴史年表を見ると、鎌倉〜江戸時代はオナニーの「楽天期」であり、その後1860年代になり、西洋から“有害論”が入って来たと示されている。
【映像】紗倉まな、視聴者からの「性」の悩みに真剣回答(25分ごろ〜)
“有害論”の流入によって「万病の元」とまで言われる時期があったオナニー。ニュース番組『ABEMA Prime』に出演した社会学者で本書の著者の一人である赤川学氏は「オナニーをやりすぎてはいけないという価値観は、あらゆる社会で存在した」と語る。
「日本でも江戸時代の儒学者・貝原益軒の『養生訓』では『20歳は4日に1回やるべき』だとか『60歳になったら止めるべきだ』と書かれている。これは西洋でも、ほぼ共通した価値観。日本で明治維新が起きた頃、ヨーロッパではオナニーは有害だとされていた。これは宗教的に言っても、旧約聖書の『オナンの罪』に記載されている。その後、徐々に宗教の力が弱くなって、今度は性に関する医学、科学が出てきた。それらが『オナニーは無害だ』と言ってくれたら良かったが『オナニーは身体の調子が悪くなったり、精神に偏重をきたす』という、内容のほうが非常に盛んになった。それが(有害という考え方が)日本に導入されてきた過程だ」
一方で、大正時代になると“有害期”は弱まり、昭和・平成では今度は“必要期”になっている。一体どのような経緯があったのだろうか。赤川氏は「簡単にいうと、有害論では『性欲は本能だ』と考えられていた」と話す。
「本能は、なくすことができないから、オナニーじゃないにしても何らかの性交渉によって満たさなきゃいけないとなる。そこで、いわゆる性風俗で男が性欲を処理する手法が浮かび上がってきた。1930年代ぐらいになると、オナニーと性風俗、どちらが健康に害が少ないだろうかといった議論が出てくる。その後、どちらかというと『男が性を買う方がいけない』という見方に変わっていった。私は、これは社会の規範の力だと思っていて、売春防止法の制定が典型例だ。この頃を境に『男が性を買うことに比べれば、オナニーの方が、害が少ないだろう』と考え方が変わっていった」
赤川氏の解説に、紗倉まなは「オナニーの歴史を考えることがあまりなかった」と感心。「いろいろ認識が変わっていく中で、セックス自体の認識は変わらなかったのか?」と質問した。
赤川氏は「セックスに関してもある意味、認識の変化はある。例えば1カ月以上、固定的なパートナーがいてセックスをしないとセックスレスと定義され、頻度に関するある種の基準にも変化があった。実際は何回だろうと『夫婦で決めればいいじゃないか』となっているように思う。ただ、パートナー同士で(主張が)食い違うと問題になる」と回答。
また、助産師で思春期保健相談士の田中まゆ氏は、オナニーの頻度や回数における男女の違いについて言及。「女性よりも男性の方が、頻度やオナニーをし始める時期がほぼ揃っていたりする。しかし、女性は人によってやり方や頻度が本当にバラバラで差がある」と述べた。
ここでひろゆき氏が「なぜそういう差が生まれるのだろうか」と田中氏に質問。田中氏は「男性が性に対する興味、いわゆる性欲に目覚めるのは、男性ホルモンが関係していたりする」とした上で「女の子は男の子より男性ホルモンがあるわけではないので、そこで性に対する“興味の差”が男女別に出てくると思う」と説明した。
慶應義塾大学特任准教授でプロデューサーの若新雄純氏は、小学校5年生から父親のアダルトビデオを友人らに広めていたという。その経験から「子どもが関心を持っているとき、それについて吸収しようとしているときだ」と唱える。
「人がそれに対して関心があるとき、それを学ぶチャンスでもある。関心がないときに『こういうものがある』と言っても仕方がない。僕は毎日学校の休み時間で、そのネタ(父親のアダルトビデオについて)しか話していなかった。正しい教養は分からないが、何か僕たちがそこを通して性について学ぶチャンスがあったなら、絶大な機会だった。だが、親も先生も誰もそこに踏み込んでこようとはしなかった」
田中氏は「元々日本で性教育があまり学校で行われていない」と現状を告白。「例えばオランダでは、性の快楽という部分、オーガズムという現象についてちゃんと教科書で説明があったりする。ドイツでは、射精というものをオナニーで意識的に起こすこともできるし、夢精など自分の意識とはまた違うところでそういう現象が起こることもあると学ぶ機会もある。ハウツーを教えているわけではないが、ただ、性に関する話題がある中の1つとして、快楽について学んだり、身体の反応や現象について学べる性教育がある。なかなか日本では、ここまでできていないと思う」と、海外と日本の性教育の差を明かした。
ソフトウェアエンジニアでタレントの池澤あやかは「私の記憶に残っている範囲だと『女の子はこっちの部屋で教えるね』『男の子はあっちの部屋』って、男女分けて、学校で性教育を受けた記憶がある。でも私が将来的に子どもを作って、その子が男の子だったら、知識がないと完全に子育てに困ると思う。ある程度は共通した内容を教えてもいいのではないか」と疑問。赤川氏と田中氏に向けて「分けて教えることに、何か理由があるのか。海外もそうなのか」と質問した。
赤川氏は「海外はそうじゃないと思う」と回答。田中氏も「海外は男女別で行うことほとんどない」と話す。田中氏は「近年は日本でも男女一緒に性教育をやる学校も増えている」とした上で、「今も男女を分けて、女子だけに生理の話をするような学校は多い」と述べた。
また、赤川氏が「現場で教えられる先生があまりいない」と学校における性教育の課題を明かすと、ひろゆき氏は「女の子に教えるときに、男の子もいつも通り机に座っていて、『女の子用の授業をやります』と言って、男の子はずっと聞いていればいいだけじゃないか。教えられる人がいないのは答えとして違う」と意見。紗倉も「日本は、先生自身も恥ずかしがっちゃって、言い方は悪いかもしれないが、『できれば手を抜きたい』みたいな、そういう印象がある」と指摘した。
若新氏は「先生に知識がないからと言って教えないというのは、日本の完全に教える・教えられる構造が硬直している問題だ」と言及。
「教えることと学ぶことは違う。教える側に知識があるから教えるだけではなく、その話題についていろいろな世代の人と話し合える環境があることで相談できることもある。その話題を扱っていい環境を作らないと変わらない」
時代を経て、見直されている正しい「性」の学び方。教える側の知識だけではなく、性の悩みについて気軽に話せる場や相談者の存在など、環境づくりも必要なのかもしれない。(『ABEMA Prime』より)
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