「ドキュメンタリーの神様」はいる
-上原3姉妹とはまた別の離島に住むモリネさん姉妹。日本人の父の名前は「カマタ・モリネ」で漁師をしていた。出身が「オキナワ」だと、しっかりと記憶がありました。
盛根さん姉妹
松本:盛根さんの証言から調査を進めると、戦前に沖縄の「盛根蒲太(もりね・かまた)」という男性がフィリピンに渡ったパスポート記録が見つかっていました。フィリピンの町役場に、母親の婚姻記録があって、夫の欄には「カマト・マリノ」、日本人の記載がある。父親の特定に近づいていました。でもそれでは、まだ国籍回復の証拠としては足りない。「父子関係を証明するものを彼らが準備しないといけない。これがまだ時間がかかる」と同行していた支援NPO団体の猪俣代表も頭を抱えていました。
モリネさんの母の婚姻記録と父親の出国記録
松本:帰国後、猪俣代表と沖縄に行き、1泊2日、父子関係を証明できるものを探して歩きました。パスポート記録にあった本籍地は荒れ地になっていて、それ以上手がかりもない。周囲を聞きこみしても情報もない。これで、この取材は行き詰まりか‥と思いました。
那須:そこに、「ドキュメンタリーの神様」って降りてくるんだよね。
-「ドキュメンタリーの神様」とは?
那須:東京に帰る飛行機に乗る前に、地元の食堂で昼ご飯を食べたんですが、僕がそこにバッグを忘れたの。それで、荷物が届くまで飛行機を1便遅らせることになったんです。
松本:骨汁定食を食べてね。それで、3~4時間、余裕ができたので、猪俣代表が「図書館に行きたい」と。県立図書館に沖縄の移民に関する資料があるらしい、と聞いていたからです。
那須:じゃ、行ってみるか、と。でも事前に取材許可の申請もしていないけれど、とりあえず持っていくだけカメラは持っていくかって。そしたら、図書館の担当者に経緯を話したら、特別に閲覧する個室の中だけならと、撮影のOKもくれました。
松本:猪俣代表も、データベース化されて検索できるようなシステムまであるとは全く知らなくて、それで「モリネ・カマタ」で検索してみたら、名前があったんです。フィリピンにも2回渡航していて、目的は「漁業のため再渡航」という内容です。「父親は漁師だった」という盛根姉妹の証言と一致しました。さらに、モリネさん父には弟がいて、フィリピンに渡っていることがわかりました。弟の家族が生存していて、盛根姉妹の親族だと証言が得られれば大きな証拠になりうると。
左からNPO「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」の猪俣典弘代表と松本D
那須:「ドキュメンタリーの神様」ってこうやって降りてくるんだなって。
松本:やっぱり現場行ったからこそ撮影できた決定的なシーンだった。その後、父の弟の孫が那覇市内に住んでいることがわかり、連絡を取ることができました。
「大伯父の蒲太(盛根姉妹の父)は、フィリピンに渡り戦死したという話を聞いている。モリネ姉妹たちの映像を次の世代の親類にも見せてあげたい」という証言が得られて、国籍回復に向けて大きく、前進しました。
盛根さんらのインタビュー風景
-実際に、盛根姉妹は、国籍を回復しましたよね。
松本:我々の放送から1年後、盛根姉妹を在フィリピン日本大使館の総領事が訪ねていき、早期の国籍回復に向けた支援を約束しました。その訪問の4か月後、盛根姉妹は念願だった日本国籍の回復が認められました。僕たちは、2年にわたって現地取材、追跡調査をしてきましたが、その人たちが、続々と国籍回復が認められていて、事態が動いているのを感じます。上原3姉妹も、国籍回復が認められました。
第2段の「続・彷徨い続ける同胞」



