-第2段の「続・彷徨い続ける同胞」は去年の夏、放送されましたが、現実には“時間切れ“で亡くなった方もいた。
テレメンタリー「続・彷徨い続ける同胞」:https://abema.tv/video/episode/89-78_s10_p240
那須:続編では「残酷な時間の変化」も描こうと決めました。総領事が国籍回復前に上原さんや盛根さんたちのもとを訪ねるシーン。その1年前に僕らは取材に入ったわけですが、「1年でこんなにも歳を取るのか」と。明らかに違う。僕は衝撃を受けて。
-続編では、クラウドファンディングで残留2世の方々の来日が実現し、親族たちと触れ合うなど国内での動きも多くありました。希望のあるシーンが続き、エンドロールも流れてきて終わるかと思ったら最後に・・
那須:重厚な音楽とともに「ドーン」迫るSE(音響効果)があって、「5年前、1069人と把握されていた“無国籍”の人数は401人に減少」(※)というテロップです。そこから、この1年で日本国籍の回復を待ち続けて、亡くなった人たちを紹介し、最後は全面真っ黒の画面で終わります。視聴者にいかに彼らの1年というのが、我々が想像する以上に本当に限られたものなんだってことを伝える浦本Pの演出です。(※)数字は放送当時
左から那須カメラマン、東樹編集マン
―東樹さんは、テレメンタリーが元の映画「ハマのドン」(横浜市のカジノ誘致を阻止するために立ち上がった藤木幸夫の戦いを描いた作品)の編集も担当していました。作り方は違いました?
東樹:全然違います。「ハマのドン」はディレクターと1カットごとに「これがいい」「あれがいい」と作ったのですが、「彷徨い続ける同胞」は、ナレーション原稿を渡されて、基本「任せた」と。勿論、肝となる構成とかは浦本Pも含めて練りに練られていますが、びっくりするくらい、「好きにつないで」って言われました。
―全然スタイルが違う…私などは、ニュースの企画を作る時に、正確にナレーションに合わせて画を指定することが編集マンさんへの「礼儀」だとすら思っていた節もありまして。
東樹:スタイルはディレクターによって違いますが、ニュースと長尺のドキュメンタリーでは作り方が違うというのもあります。いいカットは逃さまいと画を見ている時間も長い。だから、例えば、今回、続編の後半のパートで、原稿ではナレーションが入っているパートも、ここは「画で押したほうがいい」という時は、あえて、確信犯的にそう作ってみたりして。
-それで、OKは出ました?
東樹:だまってみんなでプレビューしたら、浦本Pも含めて、「ここ、ナレーションなくてもいいかもね」ってなりました。
―画は任せるとは言っても、那須さんは企画段階から携わっている特集は、特に編集やMA(音楽やナレーションを入れる工程)にも立ち会うそうですね。
那須:ずっといたら、編集マンもやりにくいところあるだろうから、ずっとではないよ笑。でも、編集にはしょっちゅう立ち会いました。「なんでここ使わないんだよ」とかそういうことを言うためではなくて、「このカット、こう編集するのか」って、こちらの勉強にもなるから。
第1段とは違った作り方
