上原パムフィラさん(当時85歳)
松本:目に涙を浮かべながら訴えかける上原さんの言葉は非常に強かったですね。帰国して翻訳に取り掛かりましたが。まずは、現地の言葉が分かる方に、英語で翻訳をしてもらい、そこから、インタビューの「ここを使いたい」と決めて、その部分をあちらに動画で送り、あちらが「ここからここまで」というのを指定して送り返してきたものを、それにまたこちらが英語の訳をつけて、という地道なやり取りを何度も重ねていってVTRを作りました。
那須:彼女たちのところに日本メディアが戦後訪ねてきたのは初めてなわけです。僕たちが取材に来たのを「日本から来た人たちが私たちを見つけてくれた」という言葉で表現していて、本当に長い月日を感じましたし、高齢です。残された時間が少ないということを痛感しました
―ここから、編集を担当した東樹さんにも入ってもらって、取材にプラスして映像表現のことも聞いていきたい。東樹さんは、那須カメラマンが撮った映像は、翻訳などなしでゴソっと渡される感じなんでしょうか
東樹大介編集マン(以下、東樹):書いてあるのは残留2世の方の名前と地名くらいで、大量の素材を託されました。膨大なのですが、いいカット(映像)があると、編集マンって反射的にプレビューの手が止まるわけですが、那須さんが撮る映像って美しさもそうですが、訴えるものがあった。
那須:ありがとう笑
―例えば?
東樹:「手」ですね。彼女らが高齢であることをどう表現したのだろうとプレビューしていましたが、手に寄った印象的なカットがいくつもありました。例えば、上原さんがお母さんのお墓の前で泣き崩れるシーン。普通、そこは「顔にズームして寄るだろうな」というところを、お墓に添えた右手に、寄っていくんです。
母の墓の前で泣く上原トミコさん
那須:僕は、人の手にはその人の人生が現れる、と思っています。だから、この作品に限らず、人物を表現する時に、反射的に手にカメラが行ってしまうくらい。僕の過去の作品、必ず、手が出てくるので、見る人によっては「那須がカメラだな」ってすぐわかるらしいです。
「ドキュメンタリーの神様」はいる

