その後も父は戻って来なかった。戦後も激しい反日感情は続き、小学校までしか行くことができず貧困にあえいだという。さらに、もうひとつの大きな壁が「国籍」という問題だ。当時のフィリピンでは、「子どもは父親の国籍に属する」と法律で定められていたため、フィリピン人でも日本人でもない「無国籍」として戦後を生きることになってしまったのだ。
「“日本人になりたい”んじゃない。私たちは日本人なんです」(ウエハラ・パムフィラさん)
島には他にも国籍のない残留日本人、モリネ・リディアさんがいた。「親戚は私に名字を名乗らせませんでした。もし日本人の子どもだということが知られたら殺されるから」。彼女もまた、迫害から逃れるため、日本人であることを隠し続けてきた。
そして姉のエスペランサさんの姿もあった。どうして日本人になりたいのかと尋ねると「父が日本人だから。日本人の血が私にも流れているから」と答えてくれた。
フィリピン人の母とともに、あるいは、孤児となって取り残された子どもたち。その実態は、長きにわたり知られることはなかった。
奇跡の来日を果たした残留日本人
