■奇跡の来日、沖縄で結ばれた絆

 日本国籍の回復を求め、異国の地で彷徨う人々の姿を伝えてから1年が経過した頃、この小さな島に初めて、在フィリピン日本大使館の花田貴裕総領事が訪れた。最初の面会は、ウエハラ・トミコさん。姉のパムフィラさんも総領事との面会を心待ちにしていた。「日本のどこであっても親族に会いに出かけたい」その思いを伝えた。

 日本国籍を回復するには、両親の婚姻書類や本人の出生証明書などが必要だ。しかし、戦禍で焼失するなど証拠を揃えるのは困難な状況が続いている。総領事は、一日も早い国籍回復のため、最大限の支援を約束した。

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カナシロ・ロサさん、アカヒジ・サムエルさん

 国内でも大きな動きがあった。父親が沖縄出身の可能性が高いものの証拠集めが難航している2人、カナシロ・ロサさん、アカヒジ・サムエルさんがクラウドファンディングによって来日が実現したのだ。

 来日を前に情報提供を呼びかけると、自分たちがアカヒジ・サムエルさんの親族かもしれないという連絡があったそうだ。沖縄でも珍しいというアカヒジ」性をルーツに持つ人たち。残っていたのは戦前、「赤比地勲(あかひじ・いさお)」という男性が、フィリピンに渡っていた記録。サムエルさんの父「カメタロウ」と同一人物ではないかというのだ。その理由は、勲さんの姉の名が「カメ」、そして父の名が「タロ」だったこと。2人を合わせると、「カメタロ」になる。

 さらに、先祖代々の名が記録された書類に気になる項目が。「勲さんのフィリピンの奥さんである『イリミンテーナ』という名前まで載っている」。サムエルさんの母親の名は「クレメンティーナ」でとても似ている。

 もう一人のカナシロ・ロサさんにも父親の手掛かりとなるかもしれない進展があった。同じカナシロ性で、「金城幸正」という戦前沖縄からフィリピンにわたり戦死した人物の記録を発見。下の名の読み方が不明だったが、ロサさんが生まれた直後、洗礼を受けた際の証明書にある父の名は「コシエ(Kosie)」。アルファベットのeとiを入れ替えると「コウセイ(Kosei)になる。同一人物かどうかは分からないが、調査の幅が広がった。

親族たちの出迎えに涙
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