■死刑の恐怖、捏造を訴えた「5点の衣類」

【写真・画像】袴田事件の58年、精神をむしばんだ“死刑の恐怖”…獄中からの手紙「ボクサーであったが故にデッチ上げられ…」 4枚目
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5点の衣類

 巖さんは裁判で再び無実を主張する。しかし、発生から1年2カ月後、思わぬことが起きる。工場のみそタンクから、巖さんのものとよく似た血染めの5点の衣類が見つかったのだ。そのズボンの共布(ともぎれ)が、巖の実家から押収される。5点の衣類は、巖の犯行着衣と認定され、死刑判決が下された。「パジャマを着ての犯行」という供述も嘘だったことになる。

 1980年に死刑が確定し、翌年、巖さんは再審請求を行う。しかし、死刑への恐怖が精神をむしばんでいく。ひで子さんは、巖さんの無実を信じて支え、東京拘置所にも毎月のように足を運んだ。「面会もできるかどうか分からんもんですからね。ただ拘置所にいるというだけで、弟に変わりはありませんから」。

 なぜ信じ続けられたのか。「態度で分かるのよね。事件後すぐにうちに帰ってきた時に何にもそんな変わった態度はなかったの。いつもと一緒。そんなもんだから、別にそんなことは夢にも思わんでいたんですよね」。

 巖さんと事件をつなぐ5点の衣類。発生直後に、みそタンクを捜索した元捜査員が重い口を開いた。「私がいた時点ではそういうもの(5点の衣類)が発見されていない。だから後から何者かが入れたことは間違いないと思う。誰がやったか分わからない」。

 いつ誰がいれたのかー。

「当局の犯人デッチ上げ偽証工作の存在を暴露していかねばなりません。ズボンの端切が私の実家に存する筈はないのであります」(獄中からの手紙1980年9月25日)

元裁判官の告白
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