仕事の後、父親から引き継いだ里山へ向かった堂角さん。

「50年前まではここで田んぼ作っていた。子どもの時親父と一緒に来てね。全部田んぼのあとなんですよ。この木は私が15歳のときに植林した木。その木を製材して仕事に使っています」(堂角さん)

 もとは水田だった場所には、自分の手で植えた杉の木が生い茂っている。

「もし事故があった場合終わりですからね。こういう自然もすべてなくなってしまう。こういう生活を守っていくためには、やっぱりもっともっと真剣に原発問題を考えていかないと駄目だということ言いたい」(堂角さん)

避難計画の見直しについて明言を避ける行政
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