■「レプリカ」製作のきっかけ
懐中時計(遺品)の短針が折れる
原爆投下の時刻8時15分で止まったこの懐中時計は、かつては20年にわたり、資料館の図録の表紙に使われるなど代表的な遺品のひとつだった。
懐中時計の持ち主だった二川謙吾さんについて、孫の清司さん(82)は「おじいちゃんは気は優しくて、孫である私も抱っこしてもらっていたみたいだ」と話す。懐中時計は謙吾さんが、息子の一夫さんからプレゼントされたものだったという。
「おじいちゃんは喜んで肌身離さず使っていた。15分で止まっているのは原爆にあった時か川に飛び込んだ時か、ちょっとよくわからないけども……」。謙吾さんはこの時計を残し、被爆の2週間後に息を引き取った。その後、寄贈された時計は、館内の目立つ場所で展示され「あの瞬間」を伝えてきた。
しかし2015年、“事件”が起こる。針が折れていることがわかったのだ。金属の劣化が原因だったという。当時の原爆資料館長である志賀賢治さんは「70年前に数千℃の熱線を浴びているはずだ。いつか来ることがついに来たと受け止めている」と話す。
「いつか来るその日」を見越して、30年前、資料館として初のレプリカ製作に踏み切ったのが元館長の原田浩さんだ。原田さんは当時の心境を、「もともとレプリカというのは“偽物”だから、あんまり乗り気でなかった」と振り返る。
レプリカ製作に踏み切ったきっかけ
