警察は現場に残された多くの指紋や血痕を元に捜査した。DNA型の解析は人権や法制度の面で困難を極めながら、後に犯人の属性などが解析結果として判明した。しかしその後の進展は今も見られていない。発生から25年、事件現場となった自宅には、凄惨な事件の証拠の数々が今も保管されている。
事件以来、その地域一帯では防犯カメラの数が増えた。その導入に奔走したのが土田氏だ。署長になった土田氏は、定年までの1年半、事件解決に専念。まず着手したのは防犯カメラを増やすことだった。1日70件ほどあった110番通報を減らせば、署員たちが捜査に没頭できるはずとの考えだった。
1台あたり月1万円のリースで、信号のある交差点などに、あわせて400台設置し、管内での事件数は大幅に減ったという。しかし、警察行事のほとんどを事件解決に費やしたため、地域住民からは「事件を解決できる見込みはあるんですか?あるならそのまま続けてください。でもないなら、もう少し交通安全など住民のために活動してください」との苦情も出た。
それでも事件は解決しなかった。土田氏は2007年に定年退職。遺族の無念を晴らせないまま去って行くことが、刑事人生で最大の悔いだったという。
「日本の文化・教育を受けた人間ではないと感じた」
