「置き去りにしたおばあさんの目の色が忘れられない」恐怖や後悔を抱えながらも教訓を伝える“語り部”たち…震災15年で直面する「伝承の崖」

テレメンタリー
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■激減する依頼と、語り部の高齢化

震災学習プログラム来訪者数
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 東日本大震災で1700人以上が犠牲になった陸前高田市。釘子明さんも語り部だ。震災では津波で自宅を流された。

「大災害が起きますと行政の方々ははっきり言って助けてくれません。本当にこれ笑い事じゃなくて、被災していますから行きたくても行けないんですよ。陸前高田市もそうでしたよね。大槌もそうでしたよね。じゃあ誰やるか。みなさん避難している方々がやるしかないんですよ」(震災の体験を伝える釘子さん)

 震災の2年後、一般社団法人を設立して語り部活動を行っている。多い年は1万人を超える人が訪れていた。しかし近年は…。

「(語り部活動は)2025年は1件か2件しかないんじゃないか。100名あるかどうか。語り部の仕事は本当に減っているので、料金をもらってやるというのはかなり厳しい」

 仕事道具のマイクはほとんど使うことが無くなった。「語り部が下手になりました。情けないな…。それだけ減ってきているっていうことですよね」と肩を落とす。

 震災伝承に関する情報収集や発信を行う3.11メモリアルネットワークの調査によると、岩手・宮城・福島の被災3県で語り部などの震災学習プログラムに参加した人は年々減少。コロナ禍でさらに数を減らしたものの回復基調だった。しかし2024年から2年連続で前年を下回っている。

「みんな経費がかかる。経費をどういう風にしてっていうのは非常に考える。もう限界に来ているというのが正直なところ」(釘子さん)

 多くの海水浴客で賑わった福島県いわき市薄磯地区。この地にも津波が襲い100人以上が犠牲になった。語り部の大谷慶一さんは、妻と津波からに逃げる最中の出来事が忘れられないという。

 「津波を見に行って逃げ帰るが、その間に置き去りにしてしまった人がいる。このおばあちゃんを見捨てたことを置き去りにしたことを1年半、誰にも話せなかった」と明かす。生きるために、仕方のないことだった。

 「私は(女性の手を握る妻に)すごく近くで『ばっぱ(おばあさん)の手を離せ』と言ったような気がする。その時に、おばあちゃんの目を見ている。あの時の目の色、これがもう消えない。おそらく一生消えないでしょうね」と悔やむ。

「逃げれば助かる命があります。川の近くに住んでいても逃げれば助かります。命だけは守れるでしょう?家が流されようがしょうがないです。泥が入るのもしょうがないです」(震災の体験を伝える大谷さん)

 現在は震災の2年後に発足した「いわき語り部の会」会長を務めている。震災から15年が経ち、メンバーは大半が60代~80代と高齢化が進んだ。会長として、教訓を伝え続けてきた大谷さん。去年がんが見つかり、治療のため数カ月間語り部活動ができていない。

「(他のメンバーも)私と一緒。病気で体が弱ってきた。それと80歳を超えてくれば、いろいろ体力的にもたない」(大谷さん)

「体験を継承していくのは人」そして抱える“後悔”
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