■「協調性」と「個性」…社会が教育に求めるものの違い
日本の教育における協調性について「諸刃の剣」だという指摘もあったが、山崎氏はこう感じているという。
「そもそも日本の教育は、いいところと悪いところが隣同士にある。やりすぎてしまうと、いいことも悪くなってしまう。周りに合わせる、コミュニティの中でどう自分があるべきか、役割をもらって責任を果たす、そして周りの子のことを自分のことにように思える思いやりが作られていく。しかし行きすぎてしまうと同調圧力になったり、みんなと同じことしかやりにくくなる。課題も多く、日本の教育ってダメだよねと言われがちな中で、私は他のシステムも見たけれどすごくいいところもあるのではないかというスタンスでこの映画を作った」
勉強だけでなく生活全般の面倒を見るという取り組みは、日本式教育の要素として強いと言える。こうした学びについて、中室氏は社会からの要請であると分析する。
「教育は結局のところ、社会からの要請で決まっているのではないかと思っている。教育は教育単体でというより、社会の中で求められる技能や知識などを学校教育の中で身につける、そういう部分があるのだと思う」
「日本人はみんなどんなにお金持ちであっても、家の掃除やご飯を作ることを自分でやる。でも、うちの大学に結構発展途上国から来ている人たちがいるが、そういう大学生に話を聞くと、もう完全に分かれていると。要するに、掃除をする人、ご飯を作る人は必ずしもお父さんやお母さんではなく、そういう人たちを雇っているという話が結構ある。家庭の中で私たちが普通にやるようなことはプロの人を雇ってやる、そういう国もたくさんある。でも、日本はあまりそういうことをしないので、家庭科の中で調理や被服などを学ぶ、掃除もみんなでやりますというところがあるのではないか」
こうした当たり前だと思っていたことが、海外から見ると驚きだということに気づくことの意義について、山崎氏は次のように語る。
「それを当然と思ってしまうと、課題の方ばかりに意識がいってしまう。もちろん課題もあるけれど、そもそものベースラインが海外から見ると驚きだし、こんなことも小さい頃からできるのかとか、先生方もこんなに距離が近いのかとか。だからこそ大変な部分もあると思うが、社会が学校に求めている役割が大きいということに気づくことで、より良くもできるし、逆に自信が持てるところもあるのではないか」
個性を伸ばす?共に生きるを優先?世界が「日本式」に注目するワケ
