蹴球放浪家・後藤健生たるもの、取材が一筋縄ではいかないことは百も承知だ。時には、スタジアムに至る道中でもアクシデントは起こり得る。1986年のメキシコ・ワールドカップの経験は、今年開催されるカタール大会での苦難も楽しい思い出に変えてくれるかもしれないと思わせてくれるのだ。

■大騒ぎのバス車内

 そもそも、サッカーの試合のためのシャトルバスの運転手は大変です。満員の乗客は大人しくしているわけではないからです。どこの国のサポーターでも(日本人を除いて)車内でチャントを叫んだり歌を歌ったり、あるいは飛び跳ねてバスの車体を揺らしたりするものです。大人しいのは試合前からウイスキーを飲み過ぎてほとんど意識を失いかけているスコットランド人くらいのものです。

 まあ、メキシコの運転手は国内リーグの試合でもそうした雰囲気に慣れているでしょうが、2002年大会の時には日本のバスの運転手の方々はずいぶん驚かれたことでしょう。

■世界中で有名になったチャント

 ところで、「チキッティブン、アラビンボンバ」というチャントをご存じでしょうか? メキシコのサポーターのチャントです。現地語表記で全文こうなります。

 Chiquitbum ala bim bom ba,

 Chiquitbum ala bim bom ba,

 Ala bio, ala bao, ala bim bom ba,

 Mexico,Mexico,ra ra ra !

(Siquitbumと綴られることもあります)

 なんでも1920年代(1916年という説も)にクラブ・アメリカが隣国グアテマラに遠征した時に作られたチャントだそうです。グアテマラまで乗った蒸気機関車の音が「シキティ、シキティ」と聞こえたという説もあります。また、「アラビオ」のところはアンダルシアの言葉で選手のことを表す言葉で、それは「Al」が付いていることから想像できるようにアラビア語起源の言葉だとか言われていますが、ほとんど意味は分かりません。

 ただ、これをアステカのスタンドを埋めた10万人が一斉に叫ぶのですから壮観です。

 1970年、86年のワールドカップの時には世界中で有名になったチャントですが、今の若い方はご存じないかもしれませんね。

■バスの運転手の大胆な行動

 6月29日の決勝戦の時も僕はタスケーニャ駅からバスに乗ってスタジアムに向かっていました。相変わらずの大渋滞でバスの中は焦燥感と不満が爆発しそうになってきました。

 すると、突然、運転手が大胆な行動に出たのです。

 バスは左車線に出て(メキシコは右側通行)逆走を始めたのです。スタジアムに向かう南行きは大渋滞ですが、反対車線の北行きはガラガラですから、バスは渋滞にはまっている車を追い越してスイスイとスタジアムに向かいます。

 北行き車線は渋滞してはいませんが、もちろん車はやって来ます。すると、運転手はその車を巧みなハンドル操作でまるでイングランド戦のディエゴ・マラドーナのようにかわしながら、バスはあっと言う間にスタジアムに到着したのです。

 すると、満員の乗客は運転手に対して称賛のチャントを叫び始めました。

 チキッティブン、アラ、ビンボンバ

 チキッティブン、アラ、ビンボンバ

 アラビオ、アラバオ、アラビンボンバ

 チョフェル、チョフェル、ラ、ラ、ラ

 チョフェル(chofer)というのは、スペイン語で「運転手」という意味です。