ワールドカップには人それぞれに「記憶に刻む名勝負」がある。

 大会初のPK戦となった1982年スペイン大会の西ドイツ対フランス、ジーコとミシェル・プラティニが激突した1986年メキシコ大会のフランス対ブラジル、近年で言えばC・ロナウドがハットトリックを決めるなど壮絶な打ち合いを演じた前回2018年ロシア大会でのポルトガル対スペインなどなど、挙げていくとキリがない。

 ワールドカップ・フリークでもあるサッカー解説者の戸田和幸さんに「Number渋谷編集室 with ABEMA」の企画として、戸田チョイスの「名勝負」を挙げてもらった。

バッジョに目を奪われた90年イタリア大会

 僕がワールドカップを本格的に見始めたのが中1のときに開催された1990年のイタリア大会でした。ここでロベルト・バッジョのプレーに目を奪われて、テレビにかじりつくように見たことを覚えています。

 イタリアは(グループリーグ第3戦で)チェコスロバキアと戦い、この大会で得点王になるサルバトーレ・スキラッチが先制点を挙げて、2点目をバッジョが決めます。スラロームからゴールする形が本当に美しかった。バッジョが一気にスターダムをのし上がっていく、そのきっかけとなるゲームだったように思います。僕もこれでバッジョを好きになって、同じディアドラのスパイクを履いていたくらいです。

1990年のロベルト・バッジョ、23歳。大会では当初はスーパーサブ的な役割だった ©Getty Images
1990年のロベルト・バッジョ、23歳。大会では当初はスーパーサブ的な役割だった ©Getty Images

 バッジョがいたイタリアの名勝負として記憶しているのが1994年アメリカ大会、ラウンド16でのナイジェリア戦。グループリーグでのイタリアは初戦、アイルランドに負けてスタートしてヘロヘロになりながら何とか突破しました。フランコ・バレージがケガで離脱して、チーム状況として良くはない。このナイジェリア戦も相手に先制されてジャンフランコ・ゾラも退場になってしまいます。この絶体絶命の危機を救ったのがバッジョでした。

 残り時間も少なくなって、バッジョも疲れていました。それでもゴール前でパスを受けて、ここしかないっていうコースにコロコロと転がすシュートを放って決めてしまう。延長に持ち込んで今度はPKを奪って決勝点。このように彼が牽引してチームを決勝まで導くわけです。しかしブラジルとの決勝戦はPK戦になって5人目のバッジョが外してゲームセットになるというストーリーが待っていました。こういったバックグラウンドを含めて感情移入できる選手。今でもバッジョは大好きですね。

 名勝負としてここに挙げるのは恐縮なんですが、実際にピッチ上でワールドカップを経験した者として、2002年日韓大会のグループリーグ、ロシア戦はそれこそ忘れられない記憶となりました。ワールドカップでの初めての勝利というのは個人的にも、日本サッカー界的にも大きなものになったと思っています。

 初戦のベルギー戦が引き分けに終わっていたし、まだ何も成し遂げられていない状況でしたから意欲自体はとても高かったし、緊張もありませんでした。中心選手の(アレクサンドル・)モストボイがケガで出てこなかったのは少々残念でしたが。

黄金世代のメンバーがズラリ揃った2002年大会の日本代表。戸田さんの赤髪モヒカンが異彩を放っている ©Getty Images
黄金世代のメンバーがズラリ揃った2002年大会の日本代表。戸田さんの赤髪モヒカンが異彩を放っている ©Getty Images

 稲本(潤一)がゴールを決めたとき、後で映像を見ると僕は凄い勢いで抱きついていました。自分のテンションは相当に高かったんだなと感じました。

 ただ、残り20分間が体力的にとにかくきつかった。早く終われと、心のなかでつぶやいていましたから。勝利した瞬間はホッとした感情しかありませんでしたね。ミッションという意味では終わっていないんですが、初めてのことを一つクリアできた実感を持つことはできました。

ムバッペの衝撃

 実際スタジアムに行ってナマで見た試合での名勝負と言うなら、ロシア大会のラウンド16、フランス対アルゼンチンです。まずもってカザンアリーナのテンションがあまりに高かった。特にアルゼンチンサポーターですね。国歌が流れているときのスタンドを見ると、彼らが人生を懸けているんだなっていうのが伝わってきたほどです。このような異常な熱気を経験することなんてなかなかないだろうなって試合前に感じたことを記憶しています。

 結果は4-3の打ち合い。一言でこの試合を表すならキリアン・ムバッペが凄すぎたということです。とてつもなく速かった。抜け出してPKを得て、アントワン・グリーズマンが先制のPKを決めたのが始まりで3、4点目はムバッペのゴール。あっという間にゴール前に迫っていきました。

ムバッペとマッチアップするアルゼンチンののマルコス・ロホ。こうまでしても止まらなかった ©Getty Images
ムバッペとマッチアップするアルゼンチンののマルコス・ロホ。こうまでしても止まらなかった ©Getty Images

 アスリートレベル、インテリジェンスレベル、技術レベルがいずれも高い、新しい時代の象徴的な選手だと、世界に対して強烈に印象づけた試合にもなりました。

 内容的にはフランスが圧倒していました。この試合が一つのターニングポイントになって優勝に辿りつくことになります。

 オーストラリアと戦ったグループリーグ初戦は3トップにグリーズマン、ムバッペ、ウスマン・デンベレを並べて臨み、全然ダメでした。この試合ではオリビエ・ジルーの起用によって前線が機能するようになり、黒子に徹してハードワークできるブレイズ・マテュイディというつぶれ役が入ったことでムバッペがひと際輝くことになりました。

 スター選手をどのように並べるか、は代表監督の難しさではありますが、ディディエ・デシャンは短期間のなかで最適解を見つけ、変化を決断できた。その意味ではいい仕事をしたと言えると思います。

やっぱり外せないマラドーナ

 あともう一つ加えておきたいのが、マラドーナが“5人抜き”した1986年メキシコ大会の準々決勝、アルゼンチン対イングランドです。のちにじっくり見ることになりましたが、マラドーナはかなり削られていました。1982年には両国が戦ったフォークランド紛争がありましたから、政治的な背景と無関係ではなかったのかもしれません。そう思ってしまうほど、現代から考えると尋常じゃないレベルでした。それでもマラドーナは5人抜きで決めてしまうんですから、紛れもなくスーパースターです。名勝負を語るなら、やっぱりこの試合は外せないなって思いました。

伝説のイングランド戦で“削られる”マラドーナ。執拗なマークはこの試合に限らなかった ©Getty Images
伝説のイングランド戦で“削られる”マラドーナ。執拗なマークはこの試合に限らなかった ©Getty Images

 そのほかにも、1990年イタリア大会のアルゼンチン対ブラジル、ストイコビッチがいたユーゴスラビア対アルゼンチン、デニス・ベルカンプの鮮やかな一撃でケリをつけた1998年フランス大会のオランダ対アルゼンチン、ロシア大会のブラジル対ベルギー……僕のなかでワールドカップ名勝負はまだまだたくさんあります。

 今回のカタールワールドカップは欧州のシーズン真っ只中での開催になるので、選手のコンディション自体は悪くないはず。名勝負に多く出会えることを期待したいですね。

(構成=二宮寿朗)