[カタール・ワールドカップ・グループステージ第1戦]日本 2-1 ドイツ/11月23日/ハリファ・インターナショナル・スタジアム
「本当にドイツに勝ってしまった」
「ああ、日本はここまで強くなったんだな」
ドイツ戦の逆転勝利によって溢れ出たアドレナリンを抑えながら、そんなことを思っていたのは私だけではないだろう。
1998年のフランス大会に初出場して以降、日本は速いスピードで成長してきた。多くの選手たちが海外に挑戦してレベルアップし、ハイレベルなサッカーへの理解度も高くなっているとも感じている。
それでも――。ワールドカップの出場が夢物語だった頃から、ずっとサッカーボールを蹴ってきた自分にとって、まさかドイツに勝つ日が来るなんて想像もできなかった。歴史的な勝利からしばらく経っても、いまだに信じられない自分がいるのだ。
ドイツ戦の勝利を受けて、海外の知り合いからも「コングラチュレーション(おめでとう)!」「エクセレント(素晴らしい)!」など、たくさんの祝福の言葉をもらった。
私は2012年に選手を引退したあと、オランダに身を置いてVVVフェンロやリーズ・ユナイテッドなどで活動を続けてきたが、オランダにいてすごく感じるのが、ヨーロッパにおけるドイツサッカーの存在の大きさだ。
前日に同じく、アジア勢のサウジアラビアが優勝候補のアルゼンチンを破り、サプライズを起こした。しかし、個人的には、日本がサッカー大国のドイツを破った衝撃のほうが数段上だと感じている。
ドイツの勝負強さは、まさにサッカーの歴史が雄弁に語っている。とりわけ、ワールドカップの歴史においては、特に顕著だ。優勝回数はブラジルの5回に続く2位の4回だが、決勝進出回数(8回)、準決勝進出回数(13回)、ベスト8進出回数(17回)とも、すべてドイツが最多を誇っている。
メキシコ・ワールドカップの得点王に輝いた、元イングランド代表FWリネカーの「サッカーは、最後にいつもドイツが勝つ競技だ」という言葉を思い出したが、強豪国の一つであるオランダ人さえ、「ドイツの勝負強さには、もはや敵わない……」と口を揃えている。かつてアジアにおいて、日本が韓国に対してそう思っていたように、オランダにとってドイツはトラウマとも言える。
オランダをはじめ強豪国を苦しめてきたそのドイツを今回、日本は破った。先制される苦しい展開から見事に逆転勝利を収め、ヨーロッパのみならず、世界のサッカー界に衝撃を与えたのである。
【W杯PHOTO】30度を超える炎天下の中…コスタリカ戦に向け元気にトレーニングを行う日本代表!
このビッグサプライズを起こした立役者は、間違いなく森保監督だ。この日の采配は面白いほど当たった。特に1点を奪われて後のなくなってから見せた後半の采配は「見事」というほかない。
前半の日本はドイツの圧力になす術がなく、先制点を許した。放ったシュートも1本のみ。ドイツに対して解決策を見出せなくて、不安を抱えて戦っているようにさえ見えた。
しかし、ハーフタイムを経て、日本は積極的な選手交代によって息を吹き返し勇敢なチームへと変貌した。
まず、冨安を投入して4バックから3バックに変更しマークする選手を明確にした。相手に与えるスペースも消すことで守備が安定してくると、遠藤のデュエルにおける存在感が増すとともに、日本の武器であるプレスがハマってきた。その意味で、プレーヤーのなかで、この日のMVPは遠藤だと思っている。
さらに57分に三笘、浅野を同時投入。その後も堂安と南野をピッチに送ってチームに勢いを与え続けた。
まさに先手、先手の積極的な采配によって、ドイツを怯え上がらせると、試合をひっくり返して見せたのだ。
大一番でこのような思い切った手を打てたのも、あらゆるシチュエーションを想定し、これまで入念に準備をしてきた賜物にほかならない。森保監督とは東京五輪までの4年間、強化スタッフとして一緒に働かせてもらったが、みなさんが思うように、とても気持ちが熱く、真面目で勉強熱心な監督だ。
2018年には、ヨーロッパでプレーする日本人選手をスカウティングするために、オランダ、ドイツ、ベルギー、イングランドなどを一緒に回った。滞在先のホテルに携帯電話やパスポートを忘れたりするお茶目な面も見せる一方、所属クラブでの選手の起用方法やコンディショニングをこまめにメモすることは常に怠らない。
ドイツ戦でも、森保監督はいつもどおり、愛用のメモを持ちながら、声を張って選手たちに指示を与え続けた。これを名采配と呼ばずして何と言うか。
ドイツ戦で、指揮官も選手も大きな自信を手にした日本。次の相手は、スペインとの初戦で7失点を喫し追い詰められて後のないコスタリカ。
いつも通りコンディションを整え、ドイツ戦と同様の気持ちで戦い抜けば、コスタリカからも勝点3を奪えるだろう。ベスト8進出の扉は間違いなく近づいている。
【著者プロフィール】
藤田俊哉(ふじた・としや)/1971年10月4日生まれ、静岡県出身。清水商高―筑波大―磐田―ユトレヒト(オランダ)―磐田―名古屋―熊本―千葉。日本代表24試合・3得点。J1通算419試合・100得点。J2通算79試合・6得点。J1では、ミッドフィルダーとして初めて通算100ゴールを叩き出した名アタッカー。2014年からオランダ2部VVVフェンロのコーチとして指導にあたり、2016-17シーズンのリーグ優勝と1部復帰に導いた。以後、イングランドのリーズ・ユナイテッドや日本サッカー協会のスタッフなどを歴任。今年9月に古巣・磐田のスポーツダイレクターに就任した。