【識者コラム】0-1で敗れたコスタリカ戦の戦いぶりを厳しく評価
日本代表は11月27日、カタール・ワールドカップ(W杯)グループリーグ第2戦のコスタリカ代表戦に臨み、0-1で敗れた。かつてアジアサッカー連盟の機関紙「フットボール・アジア」の編集長やPAスポーツ通信のアジア支局長を務め、ワールドカップ(W杯)を6大会連続で取材した英国人記者のマイケル・チャーチ氏は、森保一監督の采配を「無能な戦いぶり」と厳しく評した。
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ドイツ戦での奇跡を目の当たりにして、森保一監督を戦術の天才だと勘違いしている人は今一度考え直すべきだ。コスタリカ代表との試合ではで保守的かつ卑怯な振る舞いで、日本代表のワールドカップ(W杯)の行方は全く分からなくなってしまった。勝利すればベスト16進出を決められたはずだったが、敗戦によって森保ジャパンはスペイン戦で結果を出すことが求められる。
過去6回のワールドカップで、日本チームがこれほど酷いパフォーマンスをした試合はなかなか思いつかない。2014年のブラジルW杯、コロンビア戦での敗戦は相手にハメス・ロドリゲスやファン・クアドラードといったタレントを擁していた。同じ大会のギリシャ戦の惨めな引き分けにしても、勝点1は手にしている。
コスタリカはスペインに7-0と完膚なきまでに叩きのめされた直後の試合だった。それほど強力な選手たちを揃えているわけではなく、このグループでは簡単に敗退すると思われていた。しかし、試合終了9分前に生まれたケイセル・フレールのゴールが日本を動揺させた。コスタリカはたった1度だけのチャンスをものにした。彼らにとっては偉大な功績だ。
この惨めな結果を擁護することはできない。前半の早い時間帯に相馬勇紀と上田綺世が見せた輝きとは対照的に、そのあとは凡庸な展開となった。
日本は冒険をせず、狡猾さや創造性はなく、深みもないパフォーマンスだった。ドイツ戦での巧みな選手起用にしても、W杯の数週間前に考えられたプランにしか見えなかった。
今に始まったことではないのだが、こうしたことは森保監督が自分で考え、戦術的にゲームを読み、それに合わせて調整する能力が欠けていることを示唆している。彼は三笘薫、堂安律、久保建英といった最もエキサイティングな選手たちを信用しておらず、そのことがこのチームを不自由にしている。
特に三笘はコスタリカ戦の終盤に脅威を見せていた選手だ。彼のスピードと技術はコスタリカのディフェンスを困惑させていた。しかし、その機会があまりにも少なく、遅すぎたのだ。日本が勝点1を奪おうとするために見せた努力は本来、勝利を目指す時にあるべきだった。
「エキサイティングな才能たちに息苦しい思いをさせている」
コスタリカがいい守備をしていたわけではない。そうする必要がなかったのだ。前半、日本は枠内シュートを1本も打てず、攻撃的でなく、冒険をすることもなかったため、試合は退屈なショーとなった。その結果、初戦でショックを受けた相手が自信を取り戻し、試合を有利に進めることにつながった。
この結果はある意味で予想どおりだった。彼の安全第一の現実的なアプローチは、日本のエキサイティングな才能たちに息苦しい思いをさせている。今こそ新しいものやフレッシュなものを求める時だ。それはリスクを冒すことを恐れない監督だ。W杯が終わっても、彼をこのポジションに置き続けることは許されない。
日本にとって終わりは4日後に迫っている。森保監督とチームがこの無能な戦いぶりから立ち直り、スペインから何かを勝ち取るとは思えない。もちろん不可能ではないが、アフマド・ビン・アリ・スタジアムでの様子を見る限り、日本がこの大会から脱落しないためにはもう一度センセーションを巻き起こす必要があるだろう。
そして、たとえ日本が想像を超える結果を出して決勝ラウンドに進んだとしても、森保ジャパンを称賛する気持ちは一度胸にしまっておき、彼が日本に何かポジティブなものをもたらすと誤解している人のために今日の試合の映像を繰り返し流すべきだ。彼を監督に任命したのは大失敗だった。
アジアカップの準優勝、オリンピックの4位という結果は、ポジティブな結果だと受け止められていたかもしれない。しかし、才能ある選手が揃っていたことを考えれば、物足りなさを感じる。彼の治世は早く終わったほうがいいだろう。(マイケル・チャーチ/Michael Church)