FIFAワールドカップカタール2022(カタールW杯)が開幕し(日本時間11月21日)出場32カ国による熱い戦いが繰り広げられている。多くの人は寝不足の日々が続いているのではないだろうか?ジャイアントキリング然り、目が離せない予想外のミラクルな展開が続いている。
この大舞台に立つことを巡っては、どの国にも並々ならぬ努力の積み重ねやストーリーがあるだろう。その中、64年ぶりに出場チャンスを得たウェールズ代表について掘り下げてみたい。長きに渡り挑戦を続け、やっと手に入れたW杯出場という快挙は、学ぶべき部分が非常に多いと感じる。壮烈な「ザ・ドラゴンズ」ことウェールズ代表の歴史の1ページを覗いてみよう。
スコットランドチームの対戦相手として誕生
今から146年前の1876年、当時スコットランドのチームと対戦する相手を探していた何人かの実業家が、ウェールズサッカー協会(FAW)をウェールズ北部の街レクサムに設立した。FAWは世界で3番目に古い協会として知られ、サッカーウェールズ代表(ウェールズ語でCymruと表記も)を統轄している。
ウェールズは北部から徐々にサッカーが盛り上がりを見せ始め、代表チームとは別の小さなサッカークラブが誕生し、1877年頃にウェールズカップという大規模な大会がスタート。これは国際的に通用する選手の発掘を目的にしたものだった。
1890年頃に、北部だけでなく南部ウェールズでもようやくサッカーが定着し始め、1902年にはウェールズ・フットボール・リーグが設立された。しかし同時に、多くのウェールズのチームが、より高いレベルの対戦相手を求めてイングランドのリーグに参加するようになった。
ジミー・マーフィー監督率いる黄金時代の偉業
1958年スウェーデンW杯出場&決勝トーナメント進出
FAWは1910年にFIFA(国際サッカー連盟1904年設立)のメンバーとなるが、イギリスとFIFAとの関係悪化に伴い、1928年にFIFAからイギリスの全4協会(北アイルランド、スコットランド、ウェールズ、イングランド)が一時撤退をしている。そして第二次世界大戦後の1946年にイギリス全4協会がFIFAに再加入を果たし、ウェールズ代表も1950年のブラジルW杯(第4回目のFIFAワールドカップ)の予選に出場をするが、最下位という結果に終わった。
しかし、その4年後の1958年スウェーデンW杯の出場権を見事獲得し、初の決勝トーナメント進出を果たしたウェールズ代表。1950年代は黄金時代と呼ばれ、特に当時マンチェスター・ユナイテッドでも準監督を担っていた故ジミー・マーフィー監督(1956-1964代表監督)が率いていた時代は、同チームの歴史上で最も輝かしい記録とされている。
同監督とウェールズ代表メンバーは、スウェーデンW杯グループリーグでハンガリー、メキシコ、スウェーデンに対し全試合引き分けの結果を残し、強豪国ブラジルとの準々決勝に進出。しかし、攻撃の要であったウェールズの伝説プレイヤーFWジョン・チャールズが怪我のため試合に欠場し、相手国の当時若干17歳のFWペレにゴールを許してしまう。結果、ウェールズは1対0で敗戦、準決勝進出の切符を逃した。
同大会で準決勝に進出したのはブラジル、フランス、スウェーデン、ドイツの4カ国だったが、最終勝者はブラジルに。マーフィー監督は記者会見で「ジョン・チャールズが出場していればウェールズはブラジルに勝てたかもしれない」と漏らしていたそうだ。
ガレス・ベイルが繋ぐ揺るぎないウェールズ魂
2022年カタールW杯64年ぶり出場へ
初出場を果たした1958年以降、全15回に渡って開催されてきたW杯において、ウェールズ代表が参加のチャンスを得ることはできなかった。その間には、数多くの代表メンバーが入れ替わってきた。
そして2006年、現主将を務めるFWガレス・ベイル(2022年6月27日からロサンゼルスFC所属)が加入し、チームは一気に活気を取り戻す事になる。現在ベイルはウェールズ代表として、41得点、110出場の最多記録を叩き出しチームトップの位を保持している。
今カタールW杯欧州予選、ベイルを筆頭にウェールズは、ベルギー、チェコ、ベラルーシ、エストニアを含むグループEで2位につけてプレーオフに回ると、準決勝でオーストリアを2-1で破り見事勝利。決勝でウクライナ相手に1-0で勝利を収め、1958年から叶わなかった64年ぶりのW杯出場を果たしたのだ。
ベイルがウェールズ代表に加わったことには、チームメンバーだけならず、地域サポーターも非常に強い感謝の想いがあるという。
「たとえベイルがオウンゴールをしてしまい退場になったとしても、サポーターは決して悲観や批判をしないだろう」と、同代表GKウェイン・ヘネシー(ノッティンガム・フォレスト)は現地メディアに語っている。「それは地域の人々が、ウェールズにベイルというスーパースターの存在が居るということが幸せで、非常に高く評価しているからだ」とし、地域との信頼関係が築かれていることを明かした。
迎えたカタール大会、日本時間11月25日のグループリーグ第1戦イラン戦では、GKヘネシーが相手選手と激しく接触しレッドカード退場という厳しい処置を受け、10名体勢での闘いの末、0-2で敗北という受け止め難い結果となった。
最後のホイッスルが鳴った瞬間、ベイルは真っ直ぐにウェールズサポーターへと顔を向け俯いた。いつもの勇敢な表情が哀しみの色へと変わり、複雑な想いが見てとれた。チームの勝利はウェールズ皆のものという、地域サポーターとの信頼関係からなる、勝ち取れなかった責任と重圧で溢れていた。
その後の現地メディアインタビューで「立ち直らなくてはならない、ガッツポーツだ!」と、気持ちを切り替え、イングランドとの第2戦(11月30日)に挑む意向を示していたベイル。1958年のジミー・マーフィー監督が成し遂げた初出場から、ウェールズの伝説となるであろうガレス・ベイルが現代へと繋ぐW杯の記録は、これからが始まりだ。