日本が勝利し、ブラジルが負け、僕は丸3年間行くことの出来なかったサンパウロへ向かう。

 日本がワールドカップで盛り上がる中、数日はブラジルからワールドカップを観戦することになる。

 グループを余裕で勝ち上がったブラジル代表だが、11人を全員交代させてとはいえ、カメルーン代表とのグループ3戦目に0-1で破れた。

 そのカメルーン代表は決勝トーナメントへ進めず敗退とはなったが、アフリカ勢としてブラジル代表に勝ったことは大金星であり、歴史の1ページとして今後語り継がれる出来事となったであろう。
 
 1994年アメリカ・ワールドカップのグループでも確か対戦しており、その時には力の差を見せつけられブラジル代表に0-3の完敗を喫している。あの頃を思い出せば、リスペクトした力のあるカメルーンはブラジルには一生勝てないのか? と思わせるような試合だったのを覚えている。

 僕が初めて生で見たワールドカップがアメリカ大会で、確かルーマニア―コロンビアというカードだったと記憶している。

 カメルーン戦のブラジル代表の話に戻れば、彼らはグループステージを決めていて、それもほぼ1位であった。試合前から、この3戦目の位置付け、出場選手のモチベーションなども難しかったのかもしれないが、それはブラジルに到着後、友人たちと話してみたい。

 きっと彼らは逆にドイツに勝ち、スペインにも勝利してグループを1位で通過した日本を称賛し、誰もが「おめでとう」と声を掛けてくれるであろう。すでにスマホにも届いている。「凄い!」「おめでとう」のメッセージが……。

 ブラジルが油断(?)から敗戦した数時間前には、日本がスペインを相手に凄いことを起こしているのだ。

 試合については、たくさんの解説者や評論家が伝えているし、TVのリモコンを何処に合わせても「サッカー」。

 僕が何か言う必要はない。国民のひとりとして、歴代ワールドカップ優勝国が2チームあったグループで堂々と両チームを破り決勝トーナメントへ進出するのだから、彼らを「誇り」に思い、サッカーファミリーとして素直に嬉しい。

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 ブラジルへ向かう飛行機の中でこのコラムを書いているが、2019年、僕がブラジルに1年間滞在した時には、日本代表がブラジルでのコパ・アメリカに出場した。「サッカーファミリーのひとりとして」と当時、ユニホームを贈呈してくれた森保監督。

 ウルグアイ代表に2-2の試合をやっただけで、「日本代表は凄いなー!」とリップサービスを言うブラジル人はもう本当に「凄い!」というであろう。

 ブラジル代表でも勝てるか分からない両国にしっかり勝ち、2014年の準決勝1-7でドイツ代表に負けたトラウマのあるブラジル代表の仇を撃ったのである(少し大袈裟だが)。
 
 この後、日本代表はクロアチア代表と戦う。モドリッチ選手を中心とする良いチームが相手だ。

 ブラジル代表はアジアの韓国と。韓国も日本代表に触発されてか、粘り強くグループを突破した。

 力の差はあるが、「もし…」が起こったら、これは日本の何倍もの歓喜となり、奇跡と呼ばれることになるであろう。この2試合はブラジル時間の5日の昼12:00からと16:00から行なわれる。

 いったい僕に何が出来る? 「応援」する事しか出来ない。だが日本の裏側から久しぶりに日本のサッカーを観て、久しぶりにブラジルのサッカーをブラジルで見る。

 2019年から3年間をイメージしてブラジルに旅立ったが、コロナ禍によりお互いが行き来、出来なくなり僕は日本で監督業についた。

 当時は外交とコパ・サンパウロのソコーホーSCのU20の監督をやり、コリンチャンスU23を沖縄へ連れて日本に戻り、日本の中学生年代(ジュニアユース)をサンパウロへ遠征で連れて戻ろうとしていた時の新型コロナ感染が世界中に広がり、それ以来のブラジルとなる。

 永住権を持ち、必ず2年に一度はブラジルへ18歳の頃から行き来した僕が3年もブラジルへ行けなかったのは初めてだ。

 1年半、JFLの鈴鹿ポイントゲッターズで監督をやり、今年は代表を務めることにもなってしまった。カズとも選手と監督という立場で勝利と成長を目指した。大変だが充実した、必死に戦ったシーズンであった。

 その僕が久しぶりにこの場所(18歳のころ生活したブラジル)で何を感じ、何を思うのか? 今までとは少し違う。心の騒めきを抑えながら短期間の滞在を有意義なモノにできればと思う。

 少しドキドキするサンパウロへの帰郷へ、30時間を掛けて移動している(笑)。離陸からまだ2時間半だ(笑)。タフな移動だ……。

2022年12月4日
三浦泰年