ラウンド16でオーストラリアを粉砕。先制点のゴールでマラドーナの得点記録を抜いたメッシが、いよいよ誰もが立ったことのない未踏の地に進もうとしている。

そんなメッシが、試合後スタンドに向かい、勝利を一緒に祝うかのようにセレブレーションを求めていた。それは非常に珍しい景色だった。

「メッシが独りから抜け出し、故郷・アルゼンチンの元に帰ろうとしている」

世界最高の名を、欲しいがままにしているメッシだが幼少の頃は虚弱だった。10歳の頃、成長ホルモンの異常分泌が原因で高額の治療が必要となっていた。そのためにバルセロナに移ったのが13歳。メッシの才能に賭けたバルセロナが家族の生活も、メッシの治療費も全てをカバーする約束をしたからだ。

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13歳で海を渡ったメッシは、その後バルセロナの宿舎で暮らすこととなる。それからずっとバルセロナで育ち、サッカー選手としての芽吹きを迎えた。だからリオネル・メッシのアルゼンチンの思い出は物心ついてから数年間しかないはずだ。

想像してほしい。13歳で誰も知らない海外で暮らす孤独を。アルゼンチンという「よその国」からやってきたメッシは、おそらくサッカーだけが友達だったのかもしれない。

サッカーで頭角を現してからも、優等生と呼ばれ、貴公子と呼ばれた。目立つことは嫌いで、世界で最も有名になった今でも、パーティーに参加すると片隅で静かに微笑むだけだという。

「メッシは世界最高だ。でもアルゼンチン代表では最高ではない」

「メッシはアルゼンチンには何ももたらさない」

「彼は移民だ。アルゼンチンから移民してスペインに行ったんだ」

このような心無いコメントが、メッシの孤独をより大きくしたのかもしれない。どれだけアルゼンチンのためにゴールを奪おうと、ドリブルで前進しようと、味方にパスを送ろうと、メッシはどこか冷めたようにも見えていた。彼はおそらく「それでいい」と思っていたかもしれない。

そんなメッシが、最後のW杯で、観客席のサポーターに向かって自分の感情を露わにして、「一緒に戦おう!」「前に進もう!」と、身体を使って意思表示したのだ。

何かが弾けたのかもしれない。伝説のマラドーナの得点を抜いて、マラドーナの代わりを務める覚悟が生まれたのかもしれない。オーストラリア戦の完璧な勝利のあとで、高揚感が極まったのかもしれない。メッシのために全力を出し切って走り、守り、戦う若き仲間に対して気持ちが変わっていったのかもしれない。

勝利のベンチには、メッシが幼い頃に憧れたパブロ・アイマールも、メッシを温かく見つめていた。

あと3つ。あと3つ勝てば、アルゼンチン国民の一人であるメッシは、夢のW杯をその頭上に掲げ、母国アルゼンチンに勝利を捧げることができる。

とうとう・・・。あのメッシがアルゼンチンに帰ってきた。メッシがアルゼンチンの国民と一体となった瞬間だった。

メッシはもう独りではない。アルゼンチンの一人となったのである。


(ABEMA/FIFA ワールドカップ カタール 2022)