日本代表監督は、我々の想像をはるかに超えた重圧と向き合う。日本で生まれ、日本で育ち、代表監督の座から離れても日本に住み続けるであろう日本人監督は、外国人監督よりもさらに大きな重圧を背負うことになる。結果を残すことができなくても、批判や避難を真正面から浴びなければならないからだ。

 カタールW杯の森保監督は、アジア最終予選の主戦術だった4-3-3でなく、9月の欧州遠征で手ごたえをつかんだ4-2-3-1でスタートした。そのうえで、3-4-2-1を用意していた。

 サンフレッチェ広島を指揮していた当時に、森保監督は3バックを採用している。システムの性格は熟知しており、落とし込みの具体先も持っているのだろう。

 それにしても、「このタイミングで」という驚きは大きかった。

 テストマッチで事前にチェックしたら、対戦相手に分析されてしまう。できる限り隠したい、という気持ちは分かる。しかし、テストマッチで習熟度を確認しなければ、ぶっつけ本番になってしまう。9月の欧州遠征で試合終盤にトライしていたが、ごく限られた時間でしかなかった。 

 ドイツ戦の試合後には、伊東純也が「最後の5分とか10分は試してましたけど、この5バックでずっとやるのは初めてでした」と話している。途中出場で左ウイングバックに入った三笘薫も、「監督はその可能性を示唆していました」と説明しつつ、「ぶっつけ本番のところは正直ありました」と語っている。

 森保監督からすれば、成算はもちろんあったのだろう。リスクも十分に計算したうえで、3-4-2-1に選手を当てはめたのだと思う。

■森保監督はこれまでもギャンブル的な采配を見せてきた

 ギャンブル的な要素の強い采配は、今回が初めてではない。

 2021年10月のW杯アジア最終予選第4戦で、森保監督は周囲をアッと驚かせた。第3戦のサウジアラビア戦まで採用していた4-2-3-1から、4-3-3へ変更した。遠藤航と柴崎岳のダブルボランチから、遠藤をアンカーに置き、守田英正と田中碧とインサイドハーフに立たせた。

 0対1で敗れたサウジアラビア戦は、柴崎のパスミスが失点を招いていた。とはいえ、守田と田中は最終予選初先発である。遠藤と守田はダブルボランチを組んだことがあり、遠藤と田中は東京五輪でともにプレーした。守田と田中は、川崎フロンターレのチームメイトだった。すでに確立されたコンビネーションはあったものの、最終予選の大一番である。

 3試合を終えてサウジアラビアとオーストラリアに勝点「6」の差をつけられており、このオーストラリア戦を落とすようなことがあると、W杯にストレートインできる2位以内の確保が難しくなる状況だった。

 さらに言えば、アウェイでサウジアラビアと戦ってから5日後である。移動日と前日の最終調整を除けば、戦術的なトレーニングに費やせたのは2日間だけだった。

 リスクはいくらでもあげることができ、リターンはすぐに見つからなかった。それでも、森保監督は4-3-3への変更に踏み切り、オーストラリア相手に2対1の勝利を手繰り寄せた。

 指揮官を後押ししたものは何だったのか。

「覚悟」だと思うのだ。

 最終予選を突破しなければならない。カタールW杯の舞台に立たなければならない。そして、就任直後から公言してきた「W杯で過去最高の成績を目ざす」という目標を、達成しなければならない。

 どんな批判も受け止め、結果責任を背負い、勝つために最善の策を選ぶ。その「覚悟」があったからこそ、森保監督は大一番で動くことができたのだろう。

 カタールW杯で見せたシステム変更にも、同じことが言える。勝つためには、リスクを冒さなければいけない。覚悟を決めなければいけない。

■森保監督の覚悟が選手たちに伝わった

 その思いは、選手たちにも伝わったのだろう。

 森保監督が冒そうとした「リスク」は、「攻めたい」という選手たちの気持ちに重なるところがあった。もちろん、選手たちもリスクは分かっていて、それでも攻める意思を発信した監督の思いに応えたい、と自分たちを奮い立たせたのだ。どんなときも選手ファーストの姿勢を貫いた森保監督は、選手たちに「この人のためにも勝ちたい」と思わせることができた。

 外国人監督だって、日本人選手と絆を結ぶことはできる。しかし、ここまで絆を深めるのは、日本人同士でなければ難しいと思う。

 もちろん、森保監督のすべてを評価するつもりはない。

 さらに「日本のスタイル」を考えながら、監督について触れていきたい――。