FIFAワールドカップカタールの開幕まであとわずか。サッカー日本代表がAFCアジアカップ準優勝やカタールW杯予選敗退の危機など、紆余曲折を経てきたのと同じように、選手個人にもこの4年間で様々なドラマがあった。ロシアW杯で出場ゼロに終わりながら、日本代表の大黒柱に成長した遠藤航の4年間を振り返る。(取材・文:元川悦子)
●ワールドカップ直前に起きたアクシデント
11月8日のドイツ・ブンデスリーガ1部、ヘルタ・ベルリン戦の後半32分。シュトゥットガルトのキャプテンマークを巻く遠藤航がイバン・シュニッチとの競り合いで頭を強打。そのまま起き上がれず、病院に搬送されるまさかの事態に陥った。
一時は深刻な状態の可能性もあると見られたが、結果的には軽傷。14日にはドーハ入りし、15日の練習から日本代表に合流。同日のメディア公開の際はエアロバイクを漕ぐ程度だったが、まずは森保一監督を安堵させた。
「今日もちょっと走っただけなので、それくらいだったら問題ないというか、まだちょっと頭を使ったバランスのリハビリみたいなのをやるとちょっとめまいまではいかないですけど、フワッとする感じはします。また明日と明後日、ちょっとずつやっていって、よくなっていけばいい」と本人は23日のカタールワールドカップ(W杯)初戦・ドイツ戦に間に合くと信じて調整していく構えだ。
万が一、彼を欠くようなことがあれば、日本のW杯グループ突破はもちろん、史上初の8強も幻となってしまうかもしれない。遠藤はそれほど今の代表に不可欠な存在なのだ。
「(4年前の直前合宿地の)ゼーフェルトでは誰も僕に興味なかったですからね(苦笑)。ロシアW杯には行ったけど、出られない悔しさを味わった。そこでハセさん(長谷部誠)が代表引退されて『じゃあ誰がボランチやるんだ』って話になって、自分が名乗り出て定位置を勝ち取り、不安を一掃してやろうと思ったのが4年前です」
遠藤はさらに続けた。
●ロシアW杯からの4年で掴んだ飛躍
「その時期にシント=トロイデンへ行って、1年後にシュトゥットガルトに来たけど、自分が思い描いたカタールW杯に出るという目標を達成しつつあるのは嬉しい。でもまだ試合に出たわけじゃないし、結果を残したわけじゃない。ここからが本番です」と9月に語気を強めていた。本人もプレーできる状態で本番直前を迎えられて、心からホッとしているに違いない。
森保ジャパンが発足した2018年9月。本人も話す通り、遠藤は欧州挑戦に踏み切ったばかりだった。25歳でのベルギー行きは通常より遅い印象もあったが、本人は自分らしいキャリアを歩んでいると受け止めていた様子だった。
「ボランチで勝負したい」という言葉通り、新天地ではそのポジションで起用され、結果を出していく。森保監督にも認められ、ロシアで長谷部とボランチを組んだ柴崎岳との同学年コンビがチームの軸に据えられ、2019年アジアカップへと向かっていく。
遠藤がケガで不在だった決勝・カタール戦で中盤にポッカリ穴が生まれた通り、すでにこの時点で彼は不可欠な存在になっていた。わずか半年前にロシアで苦汁をなめた男は、一気に階段を駆け上がったのである。
その勢いは2019年以降もとどまるところを知らなかった。シント=トロイデンではケガで後半戦の数試合を棒に振ったが、首尾よくその夏には当時ドイツ・ブンデス2部のシュトゥットガルトへの完全移籍を果たす。
だが、新たな環境での適応はベルギーよりはるかに難しく、序盤は出番を得られず苦しんだ。
●泰然自若。崩さなかったスタンス
9月からスタートしたカタールW杯2次予選の際にも「コンディションは問題ないか?」「試合勘は失われていないか?」といった質問をメディアにされることが多かった。けれども、本人は「何試合か出ないだけで試合勘は失われるものじゃない」と断言。「いろんな壁に当たりながら、それを克服していって今がある。今回の出られない経験もまた経験」とつねに前向きだった。
その言葉通り、11月以降は定位置を確保。1部昇格の原動力となる。自ら欧州5大リーグを引き寄せた実績と経験は大きな自信につながり、代表でも柴崎以上の存在感を示し始める。とりわけ、ブンデス1部初参戦だった20/21シーズンにキャプテンの重責を担い、1シーズンを戦い抜き、デュエル王に輝いたのは大きかった。この1年間を経て、遠藤は紛れもなく「日本の大黒柱」に君臨していた。この勢いは本当に凄まじいものがあった。
だからこそ、森保監督も2021年夏の東京五輪のオーバーエージ枠に彼を選んだ。そもそも2019年コパアメリカ時点では、柴崎を抜擢するつもりで、若い世代との融合を進めるべく、南米の地に連れて行ったのだろう。
しかし、1年間で2人の位置づけは逆転。中盤の要という遠藤保仁や長谷部という偉大な面々が担ってきた役割を、遠藤は引き継ぐことになったのである。
迎えた2021年9月からの最終予選。ご存じの通り、日本は初戦・オマーン代表戦を0-1で落とし、最悪のスタートを強いられた。続く中国代表戦には勝ったものの、10月のサウジアラビア代表戦も0-1で敗れてしまい、序盤3戦2敗という崖っぷちに立たされた。
帰国時の機内では吉田麻也と川島永嗣の両年長者が深刻そうに話し合う中、遠藤は泰然自若のスタンスを崩さなかった。「この段階でも日本がW杯に行けないとは全く考えなかった」とのちにキッパリ言い切った通り、絶対的ボランチの中では「本来の力を出せば勝てる」という確信めいたものがあったようだ。
●さらに進化を続ける遠藤航
続くオーストラリア代表との大一番で、彼はその実力を実証してみせる。森保監督が4-3-3に布陣変更したこともあり、中盤の遠藤・守田英正、田中碧の中盤3枚の連係と連動性は日本代表の生命線だった。
アンカーに陣取った遠藤は若い2人を確実に動かし、いい距離感を保ちながら攻守両面でチームを支えた。そして2-1の劇的勝利の原動力となる。彼の冷静さと落ち着き、卓越した戦術眼がなかったら、日本代表はあの時点で”終わっていた“可能性もあったのだ。
そこからチームは浮上のきっかけをつかみ、勝利を重ねていく。
遠藤が司る中盤は安定感を増し、最終予選序盤のような不安はなくなった。「モリ(守田)とアオ(田中)とは全員がどこでもプレーできるし、同じ仕事ができる」と彼自身も話していたが、その3枚が機能したから、日本は最後の最後で7大会連続W杯切符を得ることができた。森保監督も遠藤への信頼をより深めたに違いない。
その後も遠藤は進化を続けている。21/22シーズンもデュエル王に輝き、チームを力強くけん引。今年5月14日のシーズン最終節・ケルン戦では自らのゴールで残留を決めるという大仕事もやってのけた。そして今季はインサイドハーフでプレーすることも多く、守備やボール奪取のみならず、パスやゴール前への飛び出し、シュートといった攻撃能力をブラッシュアップさせている。
●「昔からうまかった」恩師が称賛するプレーとは?
代表ではダブルボランチの一角、あるいはアンカーとして出場するケースが多いため、グイグイと前へ出ていく仕事は少ないが、いざという時に点を取れるのが遠藤の強みでもある。その能力は湘南ベルマーレ時代の恩師・曺貴裁監督も認めていた点だ。
「航は攻撃参加した時のクロス、スルーパス、ミドルシュートが昔からうまかった。ギリギリのところで判断を変える応用力もありました。3バック右の時も、得点には相当絡んでいましたしね」とコメントしていただけに、W杯本番でも大胆なアタックを見せていいのではないか。もちろん状況次第ではあるが、3列目からの攻め上がりは相手にとって脅威になる。
今回の遠藤には「デュエル王」「守備職人」といったイメージではなく「ゴールも取れるダイナミックなMF」という一面を存分に発揮し、世界を驚かせてほしい。それが日本の歴史を変えることにつながるはず。
今はとにかく脳震盪からの回復を最優先にして、本番に照準を合わせてもらいたい。
(取材・文:元川悦子)
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