2人合わせて「ワールドカップ25大会」を取材した、ベテランジャーナリストの大住良之と後藤健生。2022年カタール大会でも現地取材を敢行している。古きを温め新しきを知る「サッカー賢者」の2人がカタール・ワールドカップをあらゆる角度から語る!

■走るようになったメッシ

「史上最高の決勝戦」にはほど遠かったかもしれない。なにしろ前半から後半なかばにかけてのフランスの出来が悪すぎた。アルゼンチンが最高のパフォーマンスをした一方で、フランスはまるで病人のようにフラフラだった。パスはつながらず、ボールをもってもアルゼンチン選手に囲い込まれ、やすやすと奪われた。

 リオネル・メッシは準決勝までとはまったく違う選手だった。

 準決勝までは「1試合の歩行時間の最長記録をつくったのではないか」と思うほどポイントポイントでしか走らず、体型の似ているアルゼンチン選手のなかでメッシだけは探すのに苦労はなかった。チームのなかでただひとり歩いているのがメッシだったからだ。

 だがこの決勝戦では、メッシもよく走った。守備にも戻ったし、ボールを出した後にはすぐに次のポジションに移った。そうして「汗を流し」ながら、肝心なところではメッシならではのプレーでフランスの守備を破った。

 後藤さんが書いたように、ケガから復帰したばかりのアンヘル・ディマリアを左サイドに置いたことがアルゼンチンが優位に立つ大きなポイントとなった。右でつくり、メッシが大きく左に振ることでアルゼンチンは繰り返しチャンスをつくった。

 しかし後半なかばまでのアルゼンチンの圧倒的攻勢を可能にした最大の要因は、エンソ・フェルナンデス、アレクシス・マカリテルのボランチコンビと、右MFながらボランチの役割も果たしたロドリゴ・デパウルの「超」がつくほどのハードワークだった。

■流れを変えた交代策

 フランスのディディエ・デシャン監督が前半41分という早い時間に「2枚替え」を断行し、オリビエ・ジルーとウスマヌ・デンベレに代えてランダル・コロ・ムアニとマルクス・チュラムを送り込んだのが、この試合の最大の分岐点だったかもしれない。前半のうちに3点差になっていたら、試合はそこで終わっていただろう。それを回避するための交代だった。

 デシャン監督は後半26分には2回目の「2枚代え」を断行する。今度は左サイドバックのテオ・エルナンデスとこの大会の「陰のMVP」とも呼ばれたアントワーヌ・グリーズマンを外し、エドゥアルド・カマビンガとキングスレー・コマンを入れたのだ。

 この時間帯になるとさすがにアルゼンチンの「超ハードワークトリオ」の運動量が落ち、フランスの「フレッシュな足」が機能し始める。そしてPKが生まれ、キリアン・ムバッペのスーパーゴールが決まって試合は突然「ドラマ」になった。

「史上最高の決勝戦」ではなかったかもしれない。しかし「史上最もエキサイティングな決勝戦」ではあったのは間違いない。世界中のサッカーファンが寝るのも忘れ、あるいは食事もほったらかしにして、この試合に引きつけられたのではないか。その立役者は、サッカー史に残る天才選手であることを自ら証明したメッシ、驚異的なハードワークを見せたアルゼンチンの選手たちとともに、困難そのものの状況を適切な選手交代で変えていったデシャンの類いまれな頭脳だった。

 1998年から7大会続いた「32チーム制ワールドカップ」の最後の大会となったカタール2022。クロアチアとモロッコが奮闘し、多くの人が「絶対」と見ている「エリートクラス」への真っ向からの挑戦が可能性に満ちたものであることを証明したことが、大きな特徴だった。そこには、ドイツとスペインを破って世界を驚かせた日本の活躍も含まれている。

 そしてその一方で、アルゼンチンとフランスの決勝戦は、世界の頂点に立つには、神から与えられた特別な才能をもつ選手が最高のプレーをしてチームを支えなければならないことも、あらためて証明した。

■初の中東開催の意味

 カタールの人権問題、スタジアムを中心とした建設工事での犠牲者など、今後より詳細な調査が行われ、大会の成功に影を落とす可能性のある事項もある。国際サッカー連盟(FIFA)のジャンニ・インファンティーノ会長とカタールの癒着問題もささやかれている。

 大会運営では、事前の懸念どおり、宿泊問題が大きなマイナス点だった。どんな宿泊施設もこれまでの大会になく高額だった。さらには、しかも何万人もの外国人サポーターのために用意された施設のなかには、劣悪なものも数多くあった。大会の準備にあたり、スタジアムとメトロなどの整備は最優先されたが、宿泊問題は軽く考えられて後回しにされ、その結果、外国からのサポーターに大きな犠牲を強いることになった。

 しかし私は、このワールドカップをカタールでやったのはよかったと思っている。11月から12月というまったく新しい時期での大会への可能性を開いたこと、2002年大会を除けばすべて「キリスト教文化圏」で行われてきたワールドカップという大会を初めて「イスラム文化圏」で行ったことは、今後21世紀のワールドカップと世界にとって意味のあることだったはずだ。

 そして何よりも、大会の運営に従事した末端のスタッフやボランティア、セキュリティースタッフ、この大会の重要な要素となったメトロやシャトルバスの運行・案内に従事したスタッフの礼儀正しさと親切な笑顔が、カタールを訪れた人びとをハッピーにした。

 この大会では、カタールに働きにきている外国人労働者が家族連れで観戦にきたり、特定のチームのユニホームを着て応援にきている姿を数多く見た。もしかしたら、決勝戦のルサイル・スタジアムを埋めた8万8966人のファンのうち、半分以上がそうした人びとだったのではないか―。外国からの観戦客で最も多かったのは、陸続きの隣国サウジアラビアからの人びとだった。アラビア半島に住む人びとが初めて心から楽しんだワールドカップが「カタール2022」だったとしたら、それだけでも意味のあることだったのではないか。