サッカーの奥深き世界を堪能するうえで、「戦術」は重要なカギとなりえる。確かな分析眼を持つプロアナリスト・杉崎健氏の戦術記。今回は、アルゼンチンが3-3で突入したPK戦の末にフランスを下し、世界制覇を成し遂げたカタール・ワールドカップ決勝を深く掘り下げる。

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 64試合の激闘を終え、アルゼンチンの36年ぶりとなる優勝で幕を閉じた2022カタール・ワールドカップ。まさしくファイナルの名にふさわしい内容となった決勝戦を振り返る。

 アルゼンチンのメンバーは、出場停止が明けたアクーニャを先発で使わず、クロアチア戦と同じくタグリアフィコに任せた。まずこの采配が前半は奏功した。また、パレデスではなくディ・マリアを左サイドで起用し、フランスのウイークであるエムバペの背後をデ・パウルやモリーナに使わせ、スイッチプレー(サイドチェンジ)をする意図もあったか。

 一方のフランスは、準決勝のモロッコ戦で体調不良により先発を外れたウパメカノとラビオが復帰し、準々決勝のイングランド戦と同じメンバーを選んだ。
 
 アルゼンチンの配置は、攻撃と守備で違った。守備時はアルバレスとメッシが2トップ化し、デ・パウルが右サイドを見る。ただ攻撃時に、デ・パウルが右サイドのワイドに位置取ることはなく、マルティネスとマク・アリステルとで3センターを形成し、ディ・マリアを左の高い位置に据えた。これはスカローニ監督の采配だろう。日本がドイツを相手に前半、押し込まれたように、攻撃と守備で形を変えるのは主流とも言える。

 エムバペが守備に戻らないのは分かっているからこそ、モリーナを上げるタイミングは大事だ。デ・パウルもバランスを取りながら、エムバペを使ってのカウンターの芽を消す意図もあったはずである。

 こうなると右サイドは誰もいなくなるが、23分のPKにつながったシーンでは、メッシが右のハーフスペースに下りてきて起点を作り、モリーナが上がっていった。29分50秒では、モリーナが斜めのパスを中央のアルバレスにつけたあとで上がっていったが、デ・パウルは即座にエムバペを見て、上がるのを止めた。そんなシーンもあった。

 フランスは、ここまでの戦い方と大きくは変えなかった。デンベレとエムバペの推進力とグリーズマンの創造性をかみ合わせ、ラストはジルーが完結したかったのだろう。ただ、その手前で引っかかることが多く、特に前半はアルゼンチンのサイドバックが縦を切る守り方をしてきたことで消える時間が多かった。

 デンベレとエムバペが前半にドリブルで仕掛けたのは、合わせても2回だけ。その2回とも失っている。前半のシュートが0だった起因の1つとも言える。
 
 デシャン監督が前半のうちから動いたのは、おそらく36分の2失点目を喫した直後だろう。前半の出来のなかで3点目を取られたら終わってしまうと感じたか、モロッコ戦と同じ交代を行なった。

 それはジルーを下げて、守備のウイークとなってしまうエムバペをセンターに据えること。これに加えて、明らかに出来が悪かったデンベレも下げた。交代の時間は41分だが、2失点目以降でデシャン監督がテクニカルエリアに出てきていないのを見ると、直後から動いていたのだと分かる。

 それでも状況が変わらなかったのは、アルゼンチンの守備が機能していたからだろう。特にセンターバックのロメロはリゲイン(自チームのボールロスト後に相手の攻撃を奪い返す)の数が18を数え、チーム内で2番目に多かったタグリアフィコの倍の数を計測するなど、まさしく防波堤となった。

 チーム全体でも、ボールリカバリータイムは8.22秒だったようで、これは決勝トーナメントにおける4試合の中で最短。44分には、メッシもプレスバックでボールを奪いに行くなど、見る守備ではなく奪いに行く守備で相手に自由を与えなかった。
 
 アルゼンチンは、決勝に至るまでヨーロッパ勢との対決は3回あったが、フランスは南米勢との対決はなし。影響はないはずだが、フランスにとっては、ボールに対する強度の違いがそれまでの対戦国に比べてあったのかもしれない。

 後半の立ち上がりも、状況は変わらず。48分には、またもロメロがインターセプトしてから、デ・パウルのボレーシュートがあったように、良い守備と良い攻撃の連鎖はアルゼンチンだった。

 ただ、フランスにとって変化の予兆が見えたのは50分の守備だった。代わって入ったコロ・ミュアニが人とボールに対して激しいプレスを行ない、エムバペのカウンターに繋げてCKを獲得したシーン。1つのプレーや変化で状況が劇的に変わるのはサッカーの面白さや醍醐味だ。彼のプレスの姿勢は、チームメイトに自信を与えたように思う。

 もちろん、アルゼンチンがリードを確実に守るためにハイプレスからミドルプレスに移行した影響は無視できないが、それでも明らかに後半の圧力は増した。乗じて、細かな修正を加えている。62分にテュラムとエムバペの位置を変えた。相手の重心が下がったことで、クロスは増えると読んでのものだったかもしれない。

 事実、グリーズマンやテオ・エルナンデスがクロスを上げるシーンを作り出し、この試合のファーストシュートとなったCKを獲得できた。また、70分にはエムバペ自身もこの試合の1本目のシュートも記録している。これも1つの変化による恩恵だった。
 
 さらにテコ入れしたデシャン監督の采配は興味深かった。シュートを放ったエムバペを再び中央へ戻す交代策をとったこと。おそらくクロスが増えるため、突破力とクロスができるコマンを入れたかったのだろう。後半最初の変化を加えてくれたコロ・ミュアニを左に回し、相手の4バックに4トップをぶつける格好となった。

 これで修正は終わりかと思いきや、74分には、左のコロ・ミュアニとセンターフォワードのテュラムの位置を変えた。これが監督の指示だとしたら、80分のPKを得たシーンを作り出したのはデシャンとも言えるだろう。倒されたのは中央のコロ・ミュアニである。そして、同点弾となるエムバペのアシストは左のテュラムであり、メッシからボールを奪ったのは右のコマンだった。

 恐ろしいほど采配が当たり延長へと繋げたフランスの意地と戦いぶりは、逆転にまでは届かなかった。
 
 延長に入ってからアルゼンチンの選手たちは、前半の戦いぶりを取り戻した。ソリッドにブロックを組みながらオタメンディとロメロの前に強い守備でボールを刈り取り、3センターのキープ力でマイボール時間を増やす。疲れているはずの彼らが、技術で落ちることはなかった印象だ。

 スプリント75回を記録したアルバレスを102分まで引っ張ったが、それは彼ほど守備で奔走できる選手がベンチにいなかったからだろう。スカローニ監督は、この交代で点を取りに行く姿勢を伝えたはず。104分の決定機は、代わって入ったラウタロ・マルティネスのキープから始まり、彼のシュートのこぼれをモンティエルが狙ったシーンだった。

 そして108分の勝ち越し弾も、モンティエルのパスをラウタロ・マルティネスが丁寧にメッシに落としたことでもたらした。戦術は選手の個によっても変えられるが、まさに選手の特徴に合わせて結果が現れた格好だった。

 もちろん、サッカーにおける定説のようなもので失敗する場合もある。CKの守備時に交代を行ない、結果論だが定説通り、PKを与えてしまったことだ。2度目のPKをも沈めたエムバペのメンタルの強さは計り知れないが、スカローニ監督にとっては痛恨だっただろう。

 PK戦によりアルゼンチンの勝利が決まったものの、ラスト2プレーでコロ・ミュアニかラウタロ・マルティネスのどちらかが得点を記録していてもおかしくなかった。最後まで最高峰のサッカーを披露した両国に賛辞を送りつつ、この試合を見届けられたことに感謝したい。収まりきらない事象が多数あったほど、濃密な120分+PK戦だった。

【著者プロフィール】
杉崎健(すぎざき・けん)/1983年6月9日、東京都生まれ。Jリーグの各クラブで分析を担当。2017年から2020年までは、横浜F・マリノスで、アンジェ・ポステコグルー監督の右腕として、チームや対戦相手を分析するアナリストを務め、2019年にクラブの15年ぶりとなるJ1リーグ制覇にも大きく貢献。現在は「日本代表のW杯優勝をサポートする」という目標を定め、プロのサッカーアナリストとして活躍している。Twitterやオンラインサロンなどでも活動中。

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