「捨てられた日本人なんですよ。忘れられてしまった。棄民です」
-作品を見て最初に驚いたのが、日系2世の寺岡カルロスさん(当時92歳)のインタビューでした。高齢にも関わらず、しっかりした日本語を話していること、そして母、妹、弟、2人の兄の家族5人をアメリカ、日本、フィリピンの3か国に殺されたという過去にも衝撃を受けました。
日系2世 寺岡カルロスさん(当時92歳)
<「彷徨い続ける同胞」より>
寺岡さんは、日本人の父とフィリピンの母のもとに生れた。フィリピンには当時、多くの日本人が移り住んで「麻」の栽培などをしていて、現地のフィリピン人と結婚して家族を持った人も多かった。最盛期には3万人のコミュニティになっていた。戦争が始まり、当時アメリカ統治下にあったフィリピンに日本軍が侵攻して、現地の日本人はフィリピン人からの憎悪の対象になった。寺岡さんは父親を病気で亡くして、2人の兄は日本軍に徴用。当時14歳だった寺岡さんは、母と2人の妹と弟を連れてジャングルをさまよい、雑草を食べて命をつないでいたが、米軍の爆撃機による襲撃で目の前で母と弟と妹1人を失う。その後、2人の兄は、1人はスパイ容疑で日本軍に銃殺、1人はフィリピンゲリラに殺害された。
那須:最初に取材したのが、寺岡さんでした。ここで僕たちの取材のコンセプトが見えました。しっかりとした日本語で話す寺岡さんから出た、「棄民(きみん)」という言葉。僕らの取材は、「捨てられた日本人」を探していくことなんだって。
―「戦争があったからこそ巻き込まれて大変な目にあった。それを日本政府は助けてくれなかった。捨てられた日本人なんですよ。忘れられてしまった。棄民です。」という寺岡さんの言葉ですね。
松本:寺岡さんは、長年、先頭に立って無国籍のままフィリピンで暮らす残留2世たちの「一括救済」を求める活動をしてきた方です。ですが、高齢のせいか、受け答えで少し曖昧な部分もあるんです。でも、戦時下の話になると、シャキっとして生々しい体験が、鮮明に日本語で出てくる。そこに、家族5人を殺され、終戦後は死に物狂いて生きてきた、という戦争の痛ましさを感じました。
「日本人になりたいんじゃない。私たちは日本人なんです」
