■残すべき価値ある風景

【写真・画像】何度崩れても積み直す…「石垣の里」の人々が守る“価値ある風景” 「孤立します、必ず」巨大地震想定で直面する厳しい現実も 3枚目
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修復作業をする吉田清一会長と吉田幸稔区長

 集落が誕生したのは幕末のころ。強風から家を守るため開墾で出た石を積み、明治10年前後には「石垣の里」になったと言われている。かつては魚を獲り、段々畑でイモなどを育てていた。

 転換期は昭和40年代後半。海中公園や国立公園に指定され、観光ブームが到来する。海の中を覗けば、美しいサンゴや魚たち。当時は、マリンレジャーを目当てに石垣の里にもたくさんの人が訪れた。

「観光ブームがあった時は民宿が8軒くらいあって、飲食店、スナックが3軒くらいあって…」(幸稔さん)

 しかし観光ブームは昭和とともに終わりを迎えた。清一さんも、集落で最後の民宿を2023年まで営んでいた。「今まで民宿もしとって、お客さんで生きてこられたからね。この石垣で生きてこられたので。この石垣はいいなって…生きさせてもらったなという感じ」。

美しい風景に観光客も絶賛
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