■揺らぐ「創薬大国」の地位と政策の壁
2024年11月、進行性の病を患っていた祖母が入院した。「今の時点で知らされているのは退院はできないだろうと」(長谷川さん)
「口が開いたままの状態で、手首とか指とか固まってボタン(ナースコール)も押すことができない」(祖父・晴幸さん)
「『(薬は)もうすぐだよね』って会いに行くたびに言われていたから、たぶんもうすぐだと思っていたと思うんですけど、私はもうすぐじゃないとわかっていながら研究が進んでいると言うしかなくて。実験をやっている側の感情と家族としてもうすぐだよって望みをかけていたけど、無責任な声掛けで最後に私に対して残る感情が何なんだろうという苦しさがある」(長谷川さん)
薬を届けたいという思いは叶わず、2024年の末、祖母は亡くなった。薬を届けることの難しさを痛感した。
「本来治らないはずの病気を治すなんて不可能じゃないですか。治したいと思ってしまうことですら本来おこがましい事なのかもしれないですけど。でも、興味を持っちゃいましたからね」(勝田准教授)
2025年5月、アメリカからニュースが届いた。生後間もない赤ちゃんの遺伝子変異を特定して、この赤ちゃんのためだけのオーダーメイドの薬が作られた。開発から投与されるまでにかかった期間はわずか半年だった。
日本はかつて「創薬大国」とも呼ばれていたが、医薬品の世界の売り上げ上位300品目で見た国内企業の作った製品の数は年々減り続けている。さらに新型コロナのワクチンの開発でも海外に後れを取り、2022年には4兆6000億円もの赤字となっている。
2024年、政府はこの状況を打開しようと動いた。「日本を世界の人々に貢献できる『創薬の地』としていく。政府がコミットしていくことを、ここに宣言をいたします」(岸田文雄元総理)
「医薬品」を今後の日本の成長を担う「基幹産業」とし、国内外からの投資や人材などを呼び込んで、世界を巻き込んだ体制づくりを進めると宣言した。
ところが事態は一変。「ファルマにとっても加盟企業にとっても、大変前向きなメッセージだった。(政権が変わり)2024年12月に残念ながら前向きだった政策が逆転してしまった」(米国研究製薬工業協会 PhRMA ハンス・クレム日本代表)
世界で最も新薬の開発が盛んなアメリカの業界団体は不信感をあらわにする。理由は国が決めた薬の公定価格だ。高齢化が進み、国民医療費が増加するなか、国は医療費を抑えるため、毎年のように薬の価格を改定する。国は医薬品産業への支援を強化すると表明した一方で、2025年度、「新薬」の43%の価格を引き下げた。
「私たちが政府に求めることは特許期間中に革新的な医薬品の価格を保護し、イノベーションを支援する政策枠組みを導入すること」(ハンス・クレム代表)
開発される新薬の価値が正しく評価されなければ世界から投資は集まらない。この問題が解決されるまで政府が掲げる取り組みへの参画を留保するとけん制したのだ。
それでも歩みを止めない
