日本代表において懸念材料の1つである左サイドバックに新星が現れた。ドイツの1部リーグ・ブンデスリーガのシュツットガルトで活躍をする188cmの大型DF伊藤洋輝(23歳)だ。

 元々はボランチやCBを担っていた選手だが、左利きでキックのセンスがずば抜けていたこともあり、シュツットガルトでは3バックの左、左ウィングバックを任され、【4-3-3】を敷く森保ジャパンの左サイドバックの新候補として白羽の矢が立った。5月30日から6月14日までの半月に渡る長期合宿において、森保ジャパン初選出となったのは伊藤のみ。これは伊藤の評価の高さと価値を物語っている。

 カタールW杯出場を決めた森保ジャパンにおいて、今回の合宿はとてつもなく大きな意味を持つ。4年に1度開催されるW杯は通常、6月の欧州各国のリーグ終了後に行われている。しかし開催地カタールは酷暑の時期。日中の気温が45℃近くに達し、夜間も30℃を下回らないような日が続くため、比較的気温が落ち着く11月開催となった。

 一方で11月は欧州のリーグが行われている最中。一時的に中断してW杯を行うため、通常のように本大会前の長期合宿を組めなくなった。今回は半月間で中3日の合計4試合の国際マッチが組み込まれ、しかもそのうち3カ国はカタールW杯に出場するチーム(ブラジル、ガーナ、チュニジア)。まだ本番まで5カ月もあると思うかもしれないが、これだけの合宿ができるのは残念ながら今回が最後。そうなると森保監督からしても新戦力を呼ぶのはここしかなく、逆に呼びすぎても本番に向けてのチームの成熟度を考えるとリスクしかない。だからこそ、今回のメンバーは『なじみのメンバー』を呼ぶのは当然で、その中で伊藤が一人だけ新戦力で呼ばれたことは、それだけ彼を『即戦力』と捉えているからだろう。

■懸念の左サイドバック。初選出・伊藤洋輝が一発回答

 冒頭でも触れた通り、左サイドバックの充実は森保ジャパンにおける最重要課題の1つだ。ロシア大会までは長友佑都という不動の存在がおり、日本が世界に誇れる強みのポジションだった。しかし、その長友も今年で35歳。W杯を迎える時には36歳になる。ブラジル戦ではさすがと感じさせるプレーを見せて、世界的な名手であるヴィニシウスと真っ向から渡り合った。だが、W杯のような長期戦を考えると、長友一人だけに負担をかけるのは得策ではないことは明らか。

 もちろんこのポジションには25歳で同じレフティーの中山雄太がいる。伊藤と同じくボランチ、CBをこなせる中山の力は、森保ジャパンにとって必要なものとなっている。だが、本職ではない分、もう一人ライバルとなる選手の出現は必要だった。

 そこに現れたのが伊藤だ。パラグアイ戦、ガーナ戦でスタメン出場を果たすと、188cmの高さと強さを生かしたディフェンスに加え、左から正確無比なサイドチェンジやロングフィードを展開して攻撃にダイナミックさを与えた。

 ボランチへのカバーリングや、三笘薫のドリブルに対して絶妙な距離感をもってサポートするなど、ポジショニングの優位性を保ち、全体のバランスをとるなど、サイドバックとしての才能を披露。首脳陣の期待に見事に一発回答をするプレーぶりを見せた。

 彼はどうやって今の立ち位置までたどり着いたのか──。

 中学生の頃からジュビロ磐田の下部組織で育った伊藤は、そのサイズと左足の精度、技術レベルの高さを持って将来を嘱望される存在だった。しかし、トップ昇格をした2018年のJ1リーグ出場はわずか1試合で、翌2019年シーズンには名古屋グランパスに期限付き移籍をしたが、そこでもリーグ戦の2試合に出場しただけだった。

■個性派指揮官たちの下で急成長。Jから世界へ羽ばたく

 だが、名古屋では川崎フロンターレの黄金期の礎を築いた技術を生かす指導のエキスパートである風間八宏監督、守備の構築に定評があるマッシモ・フィッカデンティ監督という二人の個性派指揮官の下で学んだことで、彼は攻守において大きく成長することができた。

 2020年に磐田に復帰をすると、チームはJ2リーグでの戦いを余儀なくされていたが、逆に伊藤にとってはプロでの経験を積むには必要な時間となった。

 スペイン人のフェルナンド・フベロ監督が彼の技術の高さと将来性を高く評価し、ずっと慣れ親しんできたボランチではなく、3バックの左CBとしてレギュラーに据えた。さらに4バックに切り替えたJ2第17節のアルビレックス新潟戦では、伊藤にとって初となる左サイドバックでスタメンフル出場させた。

 この試合で伊藤は激しいアップダウンを繰り返し、左足の展開力でチームにダイナミズムを与えた。このプレーで一気に評価を高め、そこから5試合は左サイドバックと左ウィングバックとしてプレー。その後は4バックと3バックの左CBとしてプレーした。今思えばこの時の経験がドイツに渡ってから生き、今回の代表にも繋がっている。

 翌2021年も開幕から不動の存在になり、同年の6月にシュツットガルトに期限付き移籍を果たした。当初はトップチームではなく、その下のU-23チームでプレー予定だったが、スケール感と左足という武器に加え、磐田で磨かれた高いユーティリティー性を評価され、すぐにトップチームに引き上げられると一気に定着。加入1年目のシーズンでヨーロッパにおける市場価値が一気に数倍も跳ね上がるなど、世界レベルの日本人選手として頭角を表すまでになった。

「海外のスカウトに自分を見てもらいたいという気持ちは常に持っています。でも、まだまだ僕はラストパス、スルーパス、ロングボールの精度すべてが足りない。あらゆるところをレベルアップしていかないとそこにはたどり着けないと思います」

 これは彼が高校2年生の3月に語っていた言葉だ。夢を夢で終わらせないと、海外という目標を本気で見据えてきたからこそ、自分の望むべきステージに立つことができた。それは今も変わらない。

「日本代表は日本人のトップレベルが集まっているし、経験ある選手が多いのでいろんなものを経験したい」

 謙虚にこう語る伊藤だが、森保ジャパンにおいて『新人』だとはもう誰も思っていないだろう。それほど、左サイドバックとして彼が見せた安定感とダイナミズムは、チームに大きな希望を生み出したのだから。

文/安藤隆人
写真/浦正弘