世界には、多種多様な文化がある。宗教も、そのひとつである。今年ワールドカップが開催されるカタールでもイスラーム(イスラム教)が広く浸透しているが、蹴球放浪家・後藤健生が初めてイスラームに触れたのは、東南アジアのある国だった。
■上位対決を彩った中秋の名月
9月10日の等々力陸上競技場。J1リーグ第29節の川崎フロンターレ対サンフレッチェ広島の試合が間もなく始まろうとしていました。暫定2位の広島と3位で逆転優勝を狙う川崎の激突です。
メインスタンド上段にある記者席から選手入場を待つピッチを眺めていると、バックスタンドの屋根の上にオレンジ色の丸くて大きな月が昇ってきました。
2022年の9月10日は旧暦の8月15日つまり「中秋」に当たっていました。上ってきた月は「中秋の名月」というわけです。しかも、今年の中秋の月は満月にだったのです。暦の上の「中秋」と、天文学的な満月(月齢15)は必ずしも一致しないので、「中秋の名月」が満月なのはむしろ珍しいことなんだそうです。
それにしても、月が昇ってくるのが試合開始直前という最高のタイミングだったことといい(この日のキックオフは通常の19時ではなく、18時30分でした)、天気予報より雲が少なくて月がきれいに見えたことといい、この日は絶好の条件が重なっていました。
地球という惑星は「月」という大きな衛星を持っています。そして、その大きな月の存在が地球の環境の安定にも寄与しているのです。
■真夜中のアンデス高原に上る月
もちろん、月は世界中どこからでも同じように見えるはずです。しかし、その見え方は、その時々の気象条件などによって違ってきますし、眺める側の心理的な状態によっても見え方は変わります。人は、月に向かって吠えることもありますし、また美しい月を見ながらさめざめと涙することもあるのです。
僕は、これまで世界中を放浪してあちこちで月を見てきましたが、最も印象深かったのはアンデス高原で見た月でした。
1978年のアルゼンチン・ワールドカップ観戦のために南米大陸に渡った時、ペルー滞在中に石油の値上げを巡ってゼネストが起こり、交通機関も止まってしまいました。しかし、ボリビア行きの“スト破り”のバスがあるというので僕はそれに飛び乗りました。クスコからボリビアまで、4000メートル近い高原を走るバスです。
ところが、交通妨害のためにあちこちにバリケードや穴があってバスはなかなか進めません。夜中にバスが止まって、乗客全員で穴を埋め戻す工事をしたこともありました。そんな時、ふと空を見上げると、太陽のように明るい月が煌々と輝いていて、周囲の5000メートル級の山々を照らしていました。空気がきれいで乾燥していて、しかも高地ですから空気が少ないので、月や星がくっきりと見えるのです(「蹴球放浪記」第16回「ユングヨの夜」の巻参照)。
■マレーシアでの五輪予選
1980年の3月に、マレーシアの首都クアラルンプールでモスクワ・オリンピック予選が開催されました(当時の日本代表はワールドカップはもちろんオリンピック予選でも負け続け。この大会でも韓国、マレーシアに敗れて3位に終わりました)。
海外で日本代表の試合を見に行くのは、実はこれが初めてでした。
ワールドカップは1974年の西ドイツ大会も1978年のアルゼンチン大会も観戦に行っていましたし、1979年にはオーストラリアまでワールドユース選手権(現、U-20ワールドカップ)を見に行きました。しかし、日本代表の応援に海外に行こうと思ったことはありませんでした。ところが、この時「そうだ。マレーシアまで行けば代表の試合が見られるんだ」と突然ひらめいたのです。