サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、勝敗は決めるが、試合の一部ではない?

■ワールドカップでのPK戦

 ワールドカップで初めてPK戦が使われたのは、1982年のスペイン大会である。1970年にIFABが認可したPK戦だったが、ワールドカップでは1978年アルゼンチン大会まで「再試合」が行われることになっていた。IFABがPK戦を認めたのが1970年の6月27日。ワールドカップの1970年メキシコ大会はその1週前の6月21日に決勝戦が行われてしまっていたので、当然間に合わない。そして1974年西ドイツ大会と1978年アルゼンチン大会では「2次リーグ」が行われたので、「1戦決着」は3位決定戦と決勝戦のみ。再試合が可能だった。

 だが出場チーム数がそれまでの16から24チームへと増えた1982年大会では、「2次リーグ」の後に準決勝、決勝と進むこととなり、大会規約で初めて「PK戦」が採り入れられたのである。

 その準決勝のひとつ、西ドイツ対フランスが大激戦だった。延長で1-3と劣勢に立った西ドイツが驚異的な粘りを見せて追いつき、ワールドカップ史上初めてのPK戦となったのである。先攻のフランスが3人連続で決めた後、西ドイツの3人目ウリ・シュティーリケのシュートがフランスGKジャンルク・エトリに止められたが、すぐにフランスの4人目ディディエ-ル・シクスのキックを西ドイツGKハラルト・シューマッヒャーがストップ。

 PK戦は4-4から「サドンデス」となり、フランスの6人目マクシム・ボッシのキックをシューマッヒャーが止めると、西ドイツの6人目ホルスト・ルベッシュが冷静に右隅に決めて勝負をつけた。

 以後、2018年ロシア大会まで、ワールドカップでは10大会で30回のPK戦が行われた。1大会平均3回である。この間にあった「ノックアウト式の試合」、すなわちPK戦になる可能性があった試合は148。およそ5試合に1試合がPKということになる。決勝戦がPK戦決着となったことも2回ある。1994年アメリカ大会(ブラジルがイタリアに勝つ)と2006年ドイツ大会(イタリアがフランスに勝つ)である。

■強さを「暴露」した2006年のドイツ

 1大会で2回PK戦を行ったチームは6つ(1990年大会のアルゼンチン、2002年大会のスペイン、2014年大会のコスタリカとオランダ、そして2018年大会のロシアとクロアチア)。このなかで「連勝」したのは、1990年イタリア大会のアルゼンチンと2018年大会のクロアチアだけである。アルゼンチンは10大会で5回のPK戦という最多記録をもっている。「最多勝利」はアルゼンチンとドイツ(西ドイツも含む)の4勝。すなわち、ドイツは「4戦全勝」ということになる。

 ドイツの勝率にはきちんとした理由がある。それが発覚したのは、地元開催の2006年大会、準々決勝でアルゼンチンと戦ったPK戦である。PK戦にはいる前に、GKコーチのアンドレアス・ケプケがドイツGKイェンス・レーマンに1枚のメモを渡した。レーマンは周囲の喧噪から離れてそれを必死の形相で見ていたが、やがてそれを右足のストッキングに挟んだ。

 そしてPK戦。ドイツが先攻し、順調に決めるなか、レーマンはアルゼンチンの2人目ロベルト・アジャラと4人目エステバン・カンビアッソのキックを見事ストップする。そして5人目を待つまでもなく、PK戦をあっさりと終わらせたのだ。これが、ワールドカップのPK戦でアルゼンチンが敗れた唯一の試合である。

 アルゼンチンのキッカーが出てくるたびに、レーマンはストッキングからメモを取り出し、キッカーに背を向けて隠すように見た。1人目のフリオ・クルスは、ケプケのメモどおり、長い助走から右にけってきた。レーマンは反応よく跳んだが、わずかに及ばなかった。これを見てアルゼンチン選手が神経質になった。

 アジャラについては、メモには「待ち長く、長い助走、右」とあった。レーマンはぎりぎりまで待ち、ボールは左にきたが、コースが甘く、倒れ込んで簡単に押さえた。

 4人目のカンビアッソがけるときには、レーマンはもう隠そうともしなかった。メモをゆっくりと開き、カンビアッソの顔を見て、もういちど開いて見た。カンビアッソの左足から放たれたシュートは左に飛んだ。レーマンは正確に反応し、ボールをはじき出してドイツを準決勝に進めた。

 このメモは、翌2007年の7月にミュンヘンで開催された「国際ゴールキーパーコングレス」という会合で初めて公にされた。小さなメモだった。チームが前日宿泊したベルリン西郊のホテルに備え付けのメモ用紙に鉛筆で走り書きしたものだった。メモには8人の名しかなく、そのうち実際にけったのは3人だけだった。

 カンビアッソの名は、そのメモにはなかった。メモの内容よりも、メモの存在そのものがアルゼンチンの選手たちに影響を与えたのだ。このコングレス後、ケプケとレーマンはメモをオークションに出し、100万ユーロ(当時のレートで約1億3500万円)で落札されると、恵まれない子どもたちのための基金にそっくり寄付した。

■ワールドカップの重圧

 過去10大会、30回のPK戦で、キッカーは延べ279人になる。そのうち失敗に終わったのは、83人である。ワールドカップで複数回PK戦でキックを成功した選手は20人以上いるが、複数回失敗した選手はいない。それでも281回中83回の失敗は少なくない。

 通常、PKの成功率は80%と言われている。Jリーグ(J2、J3は含まず)では、スタートの1993年から今月18日の試合までに8607試合が行われたが、そこで生まれた1817本のPKで得点となったのは1430回。8割弱である。それと比較すると、ワールドカップのPK戦成功率は7割強に過ぎず、「有意」に低い。

 「失敗の元祖」シュティーリケを筆頭に、「失敗者リスト」には、ソクラテス(ブラジル)、ミシェル・プラティニ(フランス)、ドラガン・ストイコビッチ(ユーゴスラビア)、ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)、フランコ・バレージ(イタリア)、ロベルト・バッッジオ(イタリア)、アンドレイ・シェフチェンコ(ウクライナ)、スティーブン・ジェラード(イングランド)など、そうそうたる顔ぶれが並んでいる。

 「ワールドカップのPK失敗はスーパースターの証拠」とまでは言わないが(そう言われても、駒野友一の心の傷は癒えないだろう)、ワールドカップのPK戦には、「何者か」が潜んでいるに違いない。だいたい、PK戦で誰も失敗しなかったら、永遠に終わらず、選手たちは次の試合に備えて休むこともできないし、観客は終電がなくなって困ってしまう。「誰かが失敗しないといけない」のが、PK戦なのである。

 PK戦を最も早く終わらせたかったら、一方のチームだけが次々と失敗すればいい。それでも両チーム3人ずつはけらなければならない。こうした例が、2017年にロシアで行われたFIFAコンフェデレーションズカップの準決勝で起こった。ポルトガルとチリの対戦は0-0で終わり、PK戦に、ここでチリのGKクラウディオ・ブラボが大活躍、リカルド・クアレスマ、ジョアン・モウチーニョ、そしてナニのキックをことごとくセーブしたのだ。先攻のチリは3人連続で成功しており、PK戦は6人で終わった。

 一方、PK戦のキック数世界記録がことし3月に塗り替えられた。それまでの記録は、2005年にナミビアでつくられた「48本」だったのだが、イングランドの10部に当たるノーザンリーグ2部のカップ戦で、3-3の引き分けの後、なんと54本ものキックが行われた。うち失敗は5本。49人が成功し、ワシントンFCがベドリントン・テリアーズFCに25対24で勝った。