海外移籍が当たり前となるなかJリーグで成長
J1リーグを2連覇中で、今季も横浜F・マリノスと覇権争いを展開している川崎フロンターレ。そのなかで2014年に加入以降、最終ラインの番人として君臨し続けているのがセンターバックの谷口彰悟だ。彼は今、日本代表としてカタール・ワールドカップに出場するという、大きなチャンスをつかもうとしている。
昨今の日本代表において、日本国内でプレーをすることは不利な状況にある。日本人選手の海外進出が増え、それこそ10代の選手の海外移籍も当たり前のようになっている。しかし谷口は、筑波大から川崎に入って今年で在籍9年目を数える。
吉田麻也、冨安健洋、板倉滉と海外で活躍するセンターバックがいるなかで、谷口は日本国内で持ち前のクレバーな判断力とボールを奪取する技術、ビルドアップの技術を磨き上げた。彼を形容するにあたって、端正なマスクが強調されるが、プレー強度は非常に高く、頭脳的で気品高さに泥臭さも兼ね揃えている。
だからこそ、日本代表でも頭角を現すことができた。当初は海外組のいない国内組がメインとなる東アジア選手権(E-1選手権)などでの招集が多かったが、2019年のカタールW杯アジア2次予選で招集されたことを皮切りに代表に定着した。
大津高校時代から感じていたエレガントさと球際の強さ
筆者は谷口を大津高校時代から取材をしているが、その立ち姿はとても印象的だった。言葉で表すならば、『凛』としているのだ。高校1年生の時からボランチとしてレギュラーを確保した谷口は、プレーを見る度に『男前度』が上がる選手だった。的確な指示と背筋の伸びた姿勢からボールを巧みに配球。エレガントな一面を見せながらも、球際では誰よりも激しくプレーし、相手の自由を奪う。
高校2年生の時は15番を背負い、攻守の要として献身的なプレーと頭脳的なリズムメークを見せ、高校3年生になると1学年下の車屋紳太郎(川崎)とダブルボランチを組み、夏のインターハイでは左サイドバックにコンバートされた車屋の能力を巧みに引き出す姿があった。当時「彰悟君はボランチでもサイドバックでも常に僕の立ち位置や動きを把握してくれているので助けられています」と、試合後の車屋の言葉が印象的だった。そして筑波大では、風間八宏監督の下で技術をさらに磨き、さらにスケールアップをしてからプロの世界にやってきた。
そうしてJリーグでも着実に力を発揮してきた谷口。日本代表でプレーする1つの転機となったのが、今年1月のW杯アジア最終予選・中国戦(ホーム)だった。
背水の陣で臨んだW杯アジア最終予選が転機に
「アジア最終予選はものすごく出たかったし、ようやくチャンスが巡ってきた。ここできちんとしたプレーをしないと次はないという覚悟で臨んだ。代表経験は浅いですが、国内ACLを経験しているので、そこは自信を持ってやっていきたい。もっと成長して吸収していきたいと思います」
谷口はこう口にしていた。この時、吉田が負傷でメンバーに選出されておらず、冨安も負傷によりプレーできなかった。周りからは「代役として出る選手は機能するのか」と言う声が上がっており、谷口自身もその声を耳にしていた。
「メディアの書き方も『大丈夫か』という不安なところを示していて、『代役は誰なのか』などと言われていたし、いろんなことを言われているなかで、僕と板倉滉がチャンスをもらった。次はないと言う気持ちで臨んだ」。
板倉と共にセンターバックコンビを組むと、2−0の完封勝利に貢献をした。
「普段出ていない選手がしっかりとプレーすることで新たな競争が生まれる。今日1試合経験できたことは僕の中では大きなこと」
確かに谷口は他の選手と比べると代表経験が浅い。しかし、当時30歳とベテランの域に差し掛かっているなかで代表に選出され、戦力と認められ続けているのは、前述した通り、高校、大学、Jリーグで一度も止まることなく、着実にキャリアを積み重ねてきたからこそ。
「センターバックがバタバタするとチームに悪影響を与えてしまうので、自信と余裕を持ったプレーができればいいと思っています」。
谷口が抱くセンターバックとしての矜持。カタールの地でも凛とした姿を見せ、これまでの思いをぶつけて欲しいと切に願う。
文・安藤隆人
photo:徳丸篤史 Atsushi Tokumar