ついに幕を開けたカタール・ワールドカップ。森保一監督が率いる日本代表は、いかなる戦いを見せるか。ベスト8以上を目ざすサムライブルー、26の肖像。今回はMF堂安律(フライブルク)だ。
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ガンバ大阪のジュニアユースからステップアップして、高校2年生でトップチームに2種登録。トップデビューを飾り、キャリアをスタートさせた。
兄・堂安優の背中を追いかけるようにサッカーを始め、兄が買ってきたサッカー漫画『ファンタジスタ』で、同じ左利きの天才マルコ・クオーレを知った。両手で長方形を作り、その中に映る景色を覗き込むポーズも、漫画の影響を受けている。
周りから見れば順風満帆なキャリアを送っているが、当然ながらそれは才能だけでなく、不断の努力によって培われたものだろう。世代別代表で取材していた時から、明るさのなかにも、非常にストイックな面が見られた。
兄の優から話を聞いたことがあるが、弟はとにかく負けず嫌いで、目標のためには努力を怠らない性格だという。堂安の強みになっている並外れたボディバランスも、若い時から専属トレーナーを付けるなど、継続的な肉体強化によって作り上げられたものだ。
負けず嫌いであり、現実を直視する。代表から一時的に外れた時には「逆境大好き人間」というツイートが一人歩きしたが、目の前に壁ができれば、避けるのではなく乗り越えようとする選手であることは間違いない。
初めてA代表に招集された時も、サムライブルーの重鎮である長友佑都(FC東京)に“弟子入り”して、トレーニングのノウハウや欧州での経験など、色々なことを学んだようだ。堂安は同世代のエリートであるために、上には上がいるという感覚を味わう環境に恵まれたとも言える。
しかし、それを乗り越えて成長に繋げてきたのは他でもない、堂安自身だ。日の丸を背負い、最初に世界を目ざしたU-16アジア選手権に臨んだ堂安は、今になってはイメージしにくいが、左サイドバックを任された。
準々決勝で韓国と対戦し、相手エースのイ・スンウにぶち抜かれて失点。0-2の敗戦を喫し、世界への道が閉ざされた。
当時の仲間には冨安健洋(アーセナル)や田中碧(デュッセルドルフ)もいたが、堂安は若かりし日の衝撃、無力感、悔しさを現在も忘れていないようだ。初めての欧州挑戦となったオランダのフローニンヘンから、名門PSVに移籍したが、そこで自分より若い選手たちが活躍している姿を見て、さらに闘志を燃やした。
そしてドイツのビーレフェルトでは左足のテクニックを武器に、活躍の場を見出しながら、戦術眼も同時に磨いた。それをPSVに復帰してからも発揮する形で主力に上り詰める。
カタール・ワールドカップが数か月後に迫った今年の夏、そのままPSVに残る選択肢もあるなかで、ドイツのフライブルク移籍に踏み切る。
伝統的な知名度はPSVのほうが上であることを承知のうえで、フライブルクがチームとして成長を続けているクラブであり、クリスティアン・シュトライヒ監督と話し、そのビジョンや起用法のイメージに、自分のさらなる成長を重ねたことが移籍の決め手となった。
リーグ中断期間までの15試合中でスタメンは13試合。確かな信頼を得ている堂安は、ドイツ代表の左サイドバックであるダビド・ラウムとも対戦経験があり、全く恐れていないという。
普通に考えれば、森保ジャパンの右サイドは、これまで主力を張ってきた伊東純也(S・ランス)のスタメンが予想されるが、堂安が出ることになれば、まさにブンデスリーガで肌を合わせている相手との経験が大いに活かされるはず。
もちろん、自慢の左足を武器に、日本を勝利に導くゴールへの道筋も、長方形の先に描けているはずだ。
文●河治良幸
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