■唯一の地続きの国
“アジアの危機”を救ったのはサウジアラビアだった。サウジアラビア王国はカタールと国境を接している唯一の国(1993年にはわざわざ国境を見に行ったことがあった)。それだけに、スタジアムには大勢のサウジアラビア・サポーターが駆け付けた。いわば、「準ホーム」である。
サウジアラビア人といえば「ディスターシャ」と呼ばれる、あの真っ白な民族衣装のイメージだろうが、彼らは国外に出るとその衣装を脱ぎ捨てて、ジーンズ姿などに早変わりしてしまう(彼らにとっては、この「カタール国」は自由の国なのである)。
ルサイル・スタジアムに駆け付けたサポーターたちを見ても“白装束”は少数派だった。
試合前はアルゼンチン・サポーターの方が優勢だったが、国歌の合唱あたりから形勢が逆転。サポーター的にはサウジアラビア優勢のまま試合が始まった。
しかし、ピッチ上の戦いは明らかにアルゼンチンの優勢。彼らのボール際の強さ、キープ力は世界一流で、開始早々にアンヘル・ディマリーアのドリブルからチャンスをつかみ、その後も面白いようにパスを回し、奪われてもすぐに素早く切りかえてサウジアラビアに攻撃の糸口を与えなかった。そして、10分にはリオネル・メッシがPKを決めて、「ああ、またもアジア勢惨敗か」と思われたのだが、その後はサウジアラビアの守備が固く、アルゼンチンは攻めあぐねた。
1対1の戦いで(時には反則も交えて)一歩も引かず、そして組織を保ったサウジアラビア守備陣はライン・コントロールも秀逸でアルゼンチンの攻撃を再三にわたってオフサイドの罠にかけた。前半だけでオフサイドはなんと7回に達した。「VARに助けられた」というより、サウジアラビアの組織的守備をほめるべきだろう。
■徹底された組織的守備
堅固なサウジアラビアの守備組織の前に、アルゼンチンの攻撃は次第に組織が自壊していった。
後半立ち上がりのサウジアラビアの2ゴールは幸運なものではあったが、しかし、数少ないチャンスを決めきったのは大したものだ。そして、アルゼンチンは攻撃の組織を最後まで取り戻すことができなかった。
相手を研究して守備の組織を作り、そして全員が忠実に守る。この基本を繰り返したことがサウジアラビアのアップセットにつながった。
大会3日目を終えた。2日目からは、毎日2試合ずつの観戦である。FIFAからは「1日2試合まで申請可能」と言われていたが、すべての申請が許可になるとは思っていなかったが、始まってみるとほとんどの試合で机付の席がもらえている。
しかし、レベルの低い試合を2試合というのも厳しいが、ワールドカップ・レベルの試合を毎日2試合というのもかなり疲れるものである。
というわけで、大住さんは3日目はアルゼンチンの試合だけを見て、夜のフランス対オーストラリア戦には来ていないようだ。翌日の日本戦に備えたのであろう。
そういえば、大住さんはその日も日本対ドイツ戦だけで、夜の部はパスだと言っていたなあ。せっかく、山下良美さんの第4審判デビュー戦だというのに、もったいない。