無数の視線を集めるに値するW杯の決勝戦における最大の注目はリオネル・メッシとキリアン・エムバペによる美しい対決だろう。パリ・サンジェルマンではチームメイト同士という点を除けば、世代もプレースタイルも異なる。
結果がどうなるにせよ、サッカーの醍醐味に触れ、ワールドカップの格式を高めるにはこれほどの組み合わせはない。突き詰めれば、知恵対力という構図であり、人類が繰り広げてきた神話的な戦いを象徴している。
ともに世界のサッカーシーンを牽引するリーダーで、フィクション顔負けのプレーは、特別な能力を持ったアメコミのヒーローのようでもある。その一方で、国民の期待を一身に背負う姿を見ていると気の毒さも感じる。
今回の決勝戦は、過去と未来を象徴する唯一無二の存在の2人が相まみえる機会であり、そこに現在と永遠が交錯する。もちろんW杯の歴史に名を刻むことに年齢は関係ない。残りの選手たちは、メッシとエムバペが試合を切り開く瞬間を待っている間、2つの軍隊を編成し、肉体的かつ知的かつ情熱的なチェスのような消耗戦を繰り広げることになる。世界中の人々が固唾を飲んで見守る刺激的な試合になること請け合いだ。
サッカーの流行り廃れについて、もっと話していたい気分だが、身体がアルゼンチンに帰れと言っている。カタールで開催された今回のワールドカップが、よく指摘されているように、人工的なものであったとすれば、その作為性に生命と本質を吹き込んだのが、我らがアルゼンチン代表だった。
アルゼンチンは貧困に苦しんでいる。政治が貧富の差を拡大し、国が真っ二つに割れてしまった。そんな中、代表チームは結束力の素晴らしさを身をもって示してくれている。我々の世代が国の発展に尽くしていた頃よりも、アルゼンチン国民であることに誇りを感じることができるのは彼らのおかげだ。
アルゼンチン人のサッカーとの向き合い方は狂気と迷信と情熱が同居し、誰もが理解できるものではない。プレーする側と応援する側が不思議な一体感を醸成し、かつてセサル・ルイス・メノッティ(アルゼンチンが78年大会でW杯初制覇した時の監督)が語った「古くから愛されているアルゼンチンのサッカー」をカタールの地でも体現し続けている。
ファンは選手たちのように汗をかき、選手たちはファンのようにサッカーを感じている。他国の人たちからすると見苦しい部分があったとしても、これは我々のアイデンティティの根っこの部分を構成するアルゼンチンサッカーの誇りを賭けた戦いなのだ。
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その中心にいるのがもちろんメッシだ。彼のプレーは、サッカー選手の枠を超えた、賢人のような達観した雰囲気がある。今大会キャリア通算1000試合出場を達成した天才が、その過程の中で蓄積してきたアイデアを完璧なまでにプレーに還元している。その無限に尽きないクリエイティブを発揮する方法を見出し、しかも現時点での彼の肉体が許容する範囲で少しずつ表現している。
すさまじい熱量で繰り広げるその一つ一つのプレーは、サッカーとはこういうものなのだとまるで我々に語りかけているようでもある。私を含めたすべての人間が1人の選手を信じているという何とも素晴らしい状況が今生まれているのだ。それほどメッシが成し遂げていることは難しく、美しく、有益で、感動的だ。人を愛するのにこれ以上何が必要だろうか?
間合い、フェイント、撹乱&騙す術、時間と空間を一つにする能力、寸分の狂いもないパス、毒が盛り込まれたかのようなシュート、対峙するDFとその周囲の選手の視線を釘付けにする圧倒的な存在感。メッシはカタールW杯をキャリアの集大成と位置づけ、サッカーを極めた者のみが達しうる数々の輝かしいプレーを見せ続けている。
そしてそのチームの快進撃を的確なマネジメントで後押ししているのがリオネル・スカローニ監督とそのコーチングスタッフだ。特筆に値するのは、サッカーが競争力ならメッシ、サッカーがアートならメッシ、サッカーがスペクタクルならメッシ、サッカーが人生を背負ってプレーする競技ならメッシといった具合にセンターステージは自分たちの場所ではないことを自覚し、あくまで陰で支える脇役に徹していることだ。
もっともそれもまた今回のW杯に物語があるとすれば、その主役はメッシ以外にいないことの表れでもある。アルゼンチン代表は、サッカーという競技を熟知し、国民から託された使命感を認識しながら、能力を限界まで引き出して、いくつもの困難を乗り越えてきた。
メッシはそんな泥臭いタレント軍団を力強く牽引し、その努力の結果、手に入れた賞品がW杯の決勝戦だ。みんな、本当にありがとう。そして…。
文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳:下村正幸
【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。
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