2人合わせて「ワールドカップ25大会」を取材した、ベテランジャーナリストの大住良之と後藤健生。2022年カタール大会でも現地取材を敢行している。古きを温め新しきを知る「サッカー賢者」の2人がカタール・ワールドカップをあらゆる角度から語る!
■カタール大会決勝の価値
確かに、技術的に見れば決勝戦は「史上最高」ではなかった。大住さんは言及されていないが、大会を通じてのベストゲームは準々決勝のイングランド対フランスだったのではないだろうか?
しかし、決勝戦があのような劇的な展開となったことの意義は大きい。
つまり、決勝戦は大住さんのような“玄人”だけでなく、普段サッカーを見慣れていない人たちからも注目されていたからだ。誰にでもわかりやすいスリリングな点の取り合い。そして、リオネル・メッシとキリアン・ムバッペという新旧スターたちの物語……。試合を見た誰もが「サッカーは面白い」と思ったことだろう。
決勝戦が終わって1日半が経過したが、NHKニュースでは毎時のようにアルゼンチンやフランスでの反応とか選手団の歓迎風景などが報じられ続けている。「これまでにないこと」なのかどうかは、日本で決勝戦の放送を見たことが一度もなかった僕には判断できないのだが……。
■見事だった大会運営
大会の運営は確かに見事だった。
カタールは膨大な数のバスを動員し、新しく開通させたメトロ(地下鉄)を駆使して懸念されていた交通問題をうまく解決した。あれで、バスの運転手がちゃんと道順を知っていてくれれば満点だった(運転手が道を間違えてウロウロしたのは一度や二度ではなかった)。
ボランティアの人たちは、これまでの大会に比べて施設の位置などについて比較的正確な知識を持っており、観客の誘導もうまくいった。
「メトロ~、ディスウェイ!」。
現地に観戦に行った人たちが将来思い出すのは、試合後に観客をメトロ駅に誘導するボランティアたちによるこのフレーズなのかもしれない。
宿泊問題は未解決のままで、劣悪な宿泊所で高額な料金を取られた人も、ホテルに泊まって通常の10倍近い料金をぼったくられた人も多いようだ。
しかし、僕は大会開幕直前に1泊66ドルの施設を見つけたのでそれほどの出費は強いられなかった。簡素極まる施設だったが、完全個室で熱いお湯のシャワーが使え、テキストファイルをやり取りするのが精一杯としても一応wifiもつながっていたのだから文句は言えない。
東西1キロ南北2キロ強の施設の中で、約1万人の各国サポーターたちと一緒に暮らすという興味深い体験もできたし(僕の部屋の周囲はほとんどアルゼンチン人だった)、ドーハ市内から距離はあったが、メトロの最寄り駅や国際空港、そして試合の日にはスタジアムまでのシャトルバスが頻繁に出ていたのでまったく不自由はしなかった。
雨が降る心配もなく、夕方になれば気温が下がって観戦環境も快適。そして、わずか17泊で29試合も観戦できたのだから満足するしかない。
4年後のワールドカップはアメリカ、カナダ、メキシコの共同開催で、東はボストンから西はサンフランシスコ、北はバンクーバーから南はメキシコ市までの広域開催となる。毎日の移動に疲れ果てた時には、きっとドーハでの経験が懐かしく思い出されることだろう。
■カタール開催を肯定できない理由
しかし、それでも僕はワールドカップのカタール開催を肯定する気にはまったくならない。
西欧諸国からカタールが告発されているのは外国人労働者の問題と性的マイノリティー(LGBTQ+)に対する差別問題の2点である。
このうち、後者に関してはいささか「価値観の押しつけ」のような気もする。というのは、西欧諸国だって、つい数十年ほど前までは宗教的な理由から同性愛を処罰の対象としていたからだ。
しかし、外国人労働者に対する搾取は現代社会でけっして許されることではない。
ワールドカップ関連の工事で生命を失った労働者は6500人に上ると言われている。もし、この数字が事実でなかったとしても、石油や天然ガスの産出によって膨大な資金を持つ豊かな湾岸諸国の人々が低賃金の外国人労働者を搾取している実態は許し難い。
ワールドカップの開催によって、そうした非民主的な政治体制の権威付けに少しでも手を貸す結果になってしまったのだとしたら、自分たちの利益のためにカタールに開催権を与えたFIFAのリーダーたちは恥を知るべきだ。
また、人口がわずか250万人ほどで(そのうちカタール国籍は約30万人)、さしてサッカー熱が高いわけでもない国に4万人以上の大規模スタジアムを7つも建設したことは(ハリファ国際スタジアムは既設)資源の無駄使い以外の何物でもないし、環境に与える負荷も大きかったはずだ。
大会後はダウンサイジングされるというが(974スタジアムは解体)、いずれも大会後の後利用ができるとは思えない。
カタール・スターズリーグ加盟クラブは、たとえばアルサッドならジャシム・ビン・ハマド・スタジアム、アルドゥハイルならアブドラ・ビン・ハリファ・スタジアムといったように、1万人から2万人ほどを収容する適正規模のスタジアムを使用しているのだ。
■4年後以降も見据えて
オリンピックやワールドカップのような大規模スポーツ大会を21世紀にも開催し続けていくためには、「持続可能性」の問題を避けて通るわけにはいかない。
スタジアムはなるべく既存のものを使用すべきだし、新設する場合には後利用を考慮に入れなくてはならない。そうでなければ、大規模スポーツ大会はロシアやカタールのような専制的政治体制の国でしか開催できなくなってしまう。
次回大会は大規模スタジアムが数多く存在する北アメリカ大陸での開催。2030年大会開催地の有力候補はスペイン・ポルトガル(共同開催)か南米4か国共同(アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、チリ)で、いずれもサッカー熱が極めて高い地域だから、既存施設も多いし、スタジアムを新設しても後利用は十分に可能なはずだ。
FIFAが、金儲けよりもサッカーというスポーツの将来のことを真剣に考える組織になってくれるといいのだが……。