取材する側の都合ではなく「人を見つめる」
写真:蕎麦店「やぶ屋」店主 及川雄一さん
「街の復興の可視化」ともう一つの柱は「人から復興を見つめる」だ。津波で店舗が流された蕎麦屋の店主。亡くなった父の味をもう一度と、何度も何度も蕎麦を打ち、幾度となく出汁づくりを繰り返し記憶に残る「おやじの味」に少しでも近づけようと苦戦していた。小さな子どもたちを抱えての店の再建、生活の立て直しは金銭面でも精神的にも苦しい道のりだ。その途上を那須カメラマンはとにかく「見つめる」をテーマに撮り続けた。「自分たちの都合でこの日撮影ができるからお願いしますじゃ撮れない。ずっとそこにいるから撮らせてもらえたし、陸前高田の人たちにも受け入れてもらえたんだと思う」。(那須カメラマン)
写真:弟・晴翔(当時7歳/左) 兄・佳樹(当時9歳/右)2011年7月撮影
津波で両親を亡くした小学生の兄弟と避難所で出会った。及川佳樹くん(当時9歳)と晴翔くん(当時7歳)だ。お父さんが見つかった時に一度だけ泣いた佳樹くん。しかしそれ以降、人前で泣くことはなく両親の話をすることはなかった。那須カメラマン自身、自宅にいるよりも陸前高田にいる時間が多いような状況で、歳の近い自分の子どもたちの姿と重なる。兄弟も自分を親のように慕い、いつも一緒に遊んだ。「この子たちの成長の過程を撮っていくということは、自分がその人生に関わっていくことになる。決めていたことがあって、日常を記録するホームビデオは撮るし、放送はするけれどこちらから両親の話のインタビューはしない」と那須カメラマンは語る。ほかのメディアがカメラを向け、両親について質問し、子どもながらに普通に対応しているのは見ていた。しかし、近くにいても聞かなかった。震災から10年、佳樹さんが二十歳を迎えた時、初めて那須カメラマンは、「インタビュー」形式で両親の話を聞いた。「両親の話を自分からすることはなかったのはなぜ?と聞いたら、『現実から逃げようとして自分で自分の心に蓋をしていた』」と答えてくれた」。成人した兄弟とは今は酒を酌み交わす仲だ。
写真:初めて兄・佳樹さんに両親のことをインタビュー(2021年2月)
取材し続けて震災から10年が過ぎた。「前例のない巨大復興事業を経て、ゼロから街をつくった。街が再スタートした。次の15年に向けては、いかに通常モードで街を維持・発展させていくかが課題なのは見えていた」。那須カメラマンは「新しいひと・ソフト」にスポットを当てたいと思い、出会ったのがワイナリーを日本最年少(当時27歳)で立ち上げた及川恭平さんだった。
「10年後にこの街に戻り、街づくりに関わろう」


