15歳で初めてオリンピックに出場してから12年。3度の五輪で計7個のメダルを獲得したスピードスケート界のエースは、未来のなでしこジャパン候補と期待された時期もあった。実は中学まではサッカー選手としても活躍し、ナショナルトレセン女子U-15に選抜された経験も。夏はサッカー、冬はスケートと“二足の草鞋”を履いて将来を嘱望されていた高木美帆選手に、サッカー選手時代の思い出、カタール・ワールドカップの注目ポイントを聞いた。

――スケートは5歳の頃から始めたそうですが、中学生の頃までは並行してサッカーも続けていたそうですね。

高木 スケートもはじめは兄と姉が帯広のクラブに入団した影響で入ったんですが、その2人がサッカーもやりはじめたので、私も後を追うように少年団に入ったんです。でも、特別サッカーがうまかったというわけではなかったんですよ。ただ、当時は周りに比べると体格が良くて、足が速かったというだけで。

 私よりも早くサッカーをはじめている子がいたので、実は最初の頃はチームに馴染むのに少し時間がかかりました。私自身も技術が他の子たちよりも劣っていると感じていて、休み時間やPKの練習をするときに男子の輪になかなか入れなかった。そんな時によく練習していたのがリフティングだったんです。だからかリフティングはうまくなったのかもしれません。高校時代はすでにスケートに専念していたのでサッカーはやっていなかったですけど、リフティング1000回に挑戦したこともありましたね。

得意プレーはサイドでのオーバーラップ

――小中学生時代はどんなプレーを得意としていたんですか。

高木 足が速かったのでよくオーバーラップしていましたね。小学生の頃はサイドバックがメインでプレーしていました。あとはサイドハーフも。誰もいないところに上がった味方からのボールを必死にとりに行く、それを何度も繰り返すプレースタイルです。ただ、そこまでは完璧なんですけど、ボールに追いついた後にゴール前にあげるクロスがショボすぎて(笑)。コーチからも「お前、いいところにいるのになぁ~」とよく言われていました。

――実はスケートやサッカー以外にも、陸上の大会にも出場していて、小学生女子800mの十勝記録も持っていたとも聞きました。

高木 陸上はただ大会に出たというだけなんですけどね。12歳から16年間、その記録の保持者でした。でも、ついに破られてしまいました(笑)。

――中学生のときにはナショナルトレセンのU-15にも選抜されていますが、「未来のなでしこジャパン候補」と呼ばれるほど、サッカーでも才能を発揮されていたんですね。

高木 私、スケートに関しては自信満々みたいなところはあるんですけど、サッカーに対してはそこまでの感覚が辞めるまで持てなかったですね。選抜に選ばれたときも、合宿に行ったら必死に練習に取り組んでいましたけど、「えっ、私が行っていいんですか?」と思いながらプレーしていたくらいです。

――中学生までスケートとサッカーの“二刀流”を貫いたわけですが、スケートに絞るときにサッカーに対する未練はなかったんでしょうか。

高木 今振り返ると、当時、サッカーで自分をガチガチに追い込んでいたかと問われると、そうでもなかったなと思うんです。それにスケートに関しては、幼い頃から答えが分からなくても、自分が速くなるためには、強くなるためには、どういう工夫をしていけばいいのかという思考ができていました。でも、サッカーはそのアイデアが全く出てこなかったし、スケートほどの思考回路が発達しなかった。特別意識していたわけではないんですけど、自分自身がそれに薄々と気づいていたからこそ、一切迷いも悩みもせずにスケートを選択したんだと思います。

中学生になるまで続けたサッカーは、フィジカルの向上だけでなく、人生にも活かされているという ©Takuya Sugiyama
中学生になるまで続けたサッカーは、フィジカルの向上だけでなく、人生にも活かされているという ©Takuya Sugiyama

スケートに活きたサッカー経験

――スケートにも団体追い抜き(パシュート)のチーム戦がありますが、サッカーから学んだことや、その後のスケート人生に活かせたと感じることはありますか。

高木 結果論ですが、サッカーをやっていたことで心肺機能や中距離系の能力はすごくついたのかなと思います。それに、スケートは1つの動きを繰り返すスポーツですが、サッカーは走ったり、ボールを蹴ったり、跳んだり……と動作も様々で身体のあらゆるところを使います。そのおかげで身体のセンサーが敏感になったような気がします。それを意図していたわけではないんですが、同じ足を使う競技だけに、結果的にスケートにもいい影響になったんじゃないかと今は感じていますね。

 あとは「スケーター・高木美帆」ではなく1人の人生として考えたときに、仲間と一緒に目標に向かい、困難を乗り越え、何かを成し遂げたことは本当に貴重な経験になっていますし、自分の幅を広げるという意味でも、スケート1本だけの人生じゃなくて良かったなと思います。

――サッカーから離れて10年以上経つと思いますが、当時のチームメイトと思い出話をされることもありますか。

高木 小学校、中学校では少年団や学校の部活で男子とサッカーをしていましたが、それとは別に十勝地区の女子の選抜チームでもプレーしていて、今でもその仲間たちとは数年に1回顔を合わせるぐらいですけど、全員で集まりますね。

 実は中学3年生の時に私も所属していた札内中学校サッカー部が念願の全道大会に出場できたんです。ただ、その開催時期がスケートの日本代表の海外合宿と重なってしまって。その時に大会に出場できない代わりに、ユニフォーム色のミサンガを編んでみんなにプレゼントしました。女子のチームでも全国大会に出場する時に同じようなことがあったんですが、未だに、冗談交じりですが「美帆が全国に来なかったのは根に持ってるから」とネタのようにいじられてます(笑)。

3回出場した五輪で獲得したメダルの合計は7つ。夏冬問わず、日本の女子選手としては最多となる ©Takuya Sugiyama
3回出場した五輪で獲得したメダルの合計は7つ。夏冬問わず、日本の女子選手としては最多となる ©Takuya Sugiyama

『心を整える。』で書いた読書感想文

――過去のサッカーW杯で印象的な大会はありますか。

高木 女子の方なんですが、2011年のW杯ドイツ大会で優勝した時のなでしこジャパンや澤(穂希)さんの印象が強いですね。男子の方は私が高校生ぐらいの時に長谷部(誠)選手や長友(佑都)選手の世代がメインで出ていた2010年南アフリカ大会が記憶にあります。当時、長谷部選手の『心を整える。』を読んで読書感想文を書きました。最近だと久保(建英)選手が10代で出てきたインパクトが強いですね。私も10代で代表デビューしたこともあって勝手に親近感を抱いてます。私は10代の頃にオリンピックの大舞台で活躍は出来なかったけれど、彼はすでに大舞台で戦い続けている。それが本当に素晴らしいなと思って、今も気になってチェックしているんですよ。

――W杯の日本代表のメンバーは11月1日に発表となるんですが、選ばれたら本大会でも久保選手の活躍にはやはり注目したいですか。

高木 そうですね、やっぱり気になる存在です。あと、今の代表は世代交代の時期だということを聞いたんです。それがスケートとも少し重なって、いろいろ思うところがありますね。

 今年2月の北京五輪まで、パシュートはずっと同じメンバーで戦ってきていたので、その経験値がまったく他の選手に渡っていないんです。シーズンに出場できるレース数はそれほど多くないので経験を積み重ねるのは難しい部分でもあるんですが、そこはこれから改善していかなければいけないところだなと感じていますね。

――若手とベテランの融合や世代交代はどのスポーツでも起こることですし、若手の台頭やベテランの力はどちらもチームを支えるうえでは欠かせないですよね。

高木 スケートの場合、基準とされるタイムがあって、それをクリアすれば代表に選出されます。サッカーの場合は個人の能力はもちろんですが、チームとして見たときのバランスなども考慮されるでしょうし、その基準の中にはこれまでの経験も加味されると思います。起用する側が経験値のある人を使うことがどれほど楽なのかは分かりますし、必要だからこそ選出されると思うのですが、かといってそういう人ばかりで構成されると、若い世代に空白の期間が出来てしまいます。

 今の日本代表は若手に勢いがあるけれど、予選でうまくいかずにベテランが投入されたこともあったと聞いています。チームの歯車がかみ合わないときにベテランがパチンとはめてあげることで一気にチーム力が底上げされることもあるんだなと感じましたし、それがベテランの役割なんだとも感じました。

 ただ、個人的には若い選手たちに勢いがあるということなので、そこには今回のW杯では注目したいですね。“うわーっ、キターっ!”とか、“次は何をしてくれるのかな”とワクワクさせてもらいたい。勢いがあるゆえに大変なこともあるでしょうけど、そこを逆手にとって、怯まずに向かって行ってほしいです。親御目線で語っちゃいましたけど(笑)。

個人と団体、選考を待つ選手の心境の違い

――過去3度の五輪に出場された高木選手だからこそ、目前にW杯という大舞台を控える選手たちの気持ちも、十分すぎるほど理解できるのではないでしょうか。

高木 私たちはタイムという明確な基準がありますが、メンバー発表まで、そして大会を迎えるまで、選手たちにとっては毎日が選考であり、チェックを受けているわけですよね。まずW杯に出場するために選ばれなければいけないという第1関門を目指す。もう考えただけで吐きそうです(笑)。

 個人競技である私たちは、自分がどう速く滑るかということだけにフォーカスすればいいけれど、団体競技は自分が選ばれることに加えて、チームが強くなるという2つのことを同時に考えなければいけない。そういった意味では本当に大変なスポーツだと思います。

 チームを牽引する森保(一)監督にもぜひ頑張っていただきたいです。

(構成=石井宏美)

©Takuya Sugiyama
©Takuya Sugiyama

高木美帆(スピードスケート)(たかぎ・みほ)

1994年5月22日、北海道生まれ。09年バンクーバー五輪に日本のスピードスケート史上最年少で出場。14年ソチ五輪は代表の座を逃すも、18年平昌五輪では団体パシュートで金、1500mで銀、1000mで銅メダルを獲得。22年北京五輪では5種目7レースに出場し、1000mでは自身初となる個人種目での金メダルを獲得。他に1500m、500m、団体パシュートでも銀メダルを獲得した。