やんちゃな少年時代から圧倒的なドリブルスキル
前回のロシア・ワールドカップ(W杯)で右サイドハーフとして攻撃を活性化させ、何度も鋭い突破でチャンスを作り出し、決勝トーナメント初戦のベルギー戦ではW杯初ゴールを決めるなど、大きな存在感を放ったMF原口元気。今回のW杯予選ではサイドハーフだけではなく、インサイドのポジションで出番を得続けるなど、森保ジャパンでも存在感を放っている。
浦和レッズユース時代はやんちゃな印象があった。江南南サッカー少年団時代から『天才』と呼ばれて来た原口は、浦和ジュニアユースでもその才を発揮し、中学3年生でユースに昇格。そして高校3年生への進学を待たずしてトップ昇格を果たした。
ドリブルに絶対的な自信を持ち、1年の時からボールを持ったらガンガン仕掛ける。技術レベルが段違いで、スピード、アジリティ、そして相手の逆を突く上手さを持ち、一度乗ったら手がつけられないレベルで、1人で3、4人をぶち抜くこともざらだった。さらにその強気の姿勢と相まって、次々と相手を交わしていく突破は見ていて気持ちが良かった。
だが、その一方で好不調の波が激しかったり、ドリブル突破がうまくいかなくなるとイライラをしだしてプレーが雑になってしまう兆候があった。
それはプロに入ってからも変わらなかった。その血気盛んな激情型の性格でピッチ上で度胆を抜くドリブルを見せたかと思えば、ピッチ外ではトラブルを起こすこともあった。数々の悪童エピソードがあったが、原口はここから心身共にさらに伸びた。
サッカーに真摯に取り組むからこそ磨かれた武器
通常、この手の選手はその気性がゆえに消えてしまうパターンが多かった。しかしなぜ原口は違ったのか。『根っからの悪』ではなく、サッカーに懸命なあまり、すぐにヒートアップしてしまうものだった。それ故に、普段の練習はストイックに取り組んでいた。だからこそ、類い稀なる才能は着実に磨かれていった。
ユース時代に取材をしても言葉こそ多くはなかったが、思いをストレートにぶつけてくれる熱い選手という印象だった。
「カッとなってしまうのはよくないことですが、仕掛ける気持ちだけは強く持っています。ドリブルでチームの勝利に少しでも繋がれば良いと思ってやっていますし、迷わず仕掛けることで、味方に勇気を与えられると思う。そのためにはこの武器に甘えないで、磨き続けないといけないんです」
これは原口が高校2年生のときに話していた言葉だ。浦和ではペトロヴィッチ監督(現・北海道コンサドーレ札幌監督)の下、左サイドハーフだけでなく、右、トップ下、FWとアタッキングポジションならどこでもこなしたことでプレーの幅を広げ、ピッチ外でも非常にチームのことを第一に考えた発言をするようになり、大人になっていった。
海外挑戦でさらなる成長。円熟味を増した31歳で迎えるカタールW杯
2014年5月にブンデスリーガのヘルタ・ベルリンへの完全移籍が決まった時、「レッズでは本当にいろんな人に助けられた。だからこそ、より自分が成長するためには、そういった助けがない環境でイチから積み上げて行きたいと思った」と語ったことが、それを物語っていた。
ドイツに渡り、日本で磨き上げた技術と人間性が土台になり、さらなる成長を遂げた。フォルトナ・デュッセルドルフ、ハノーファー96、そして1FCウニオン・ベルリンと渡り歩き、2部リーグも経験したが、確固たる土台が出来た原口の信念はブレず、よりその質を高めて行った。
だからこそ、彼は31歳になった今でも日本代表に必要な存在としてあり続けている。全体を見てサイドと中央のバランスをとりながら、ベクトルを相手ゴールに向けていく巧みなプレーと、昔から変わらない技術をベースにした瞬間的な速さと閃きで交わしていくドリブルを駆使し、カタールの地で円熟味を増したプレーを期待したい。
文・安藤隆人
Photo:高橋学 Manabu Takahashi