おそらく世界中を探しても、カタール・ワールドカップ(W杯)で日本代表にこれ以上の成績をもたらす監督はいなかったはずだ。

 クロアチア戦に限れば勝利に導ける監督はいたかもしれないが、その前にドイツやスペインを下してグループの首位通過に導ける人材はいない。現時点ではツキも含めて森保一監督が、結果を出せる最適任者だったのは疑いない。

 もし第三者として客観的立場で大会を俯瞰し、戦力の可能性を最大限に引き出した指揮官を探るなら、森保監督は最優秀候補のひとりだった。

 森保監督は、1度見込んだ選手をとことん信頼し、粘り強く長所を引き出そうとする。選手個々を最大限に尊重し、チーム作りへの意見を積極的に吸い上げて来た。プレーヤーズ・ファーストの姿勢をぶれずに貫いて来たから選手たちは心地良くプレーに集中できて、それが独特の結束感をもたらした。

 吉田麻也が「今まで一緒に仕事をしてきた監督の中で最も尊敬できる」と語ったように、人物としては申し分なく、育成型の指導者としては理想像と言ってもいい。

 だが日本は依然として世界を追いかける立場にあり、常に現在地を確認しながら天井を引き上げていく必要がある。

 確かにW杯は国民の関心度もケタ違いなので、敗退によるダメージは計り知れず未来の選手人口にも影響しかねない。しかしJFA(日本サッカー協会)が掲げる「2050年までに世界一」の壮大な目標に嘘がないなら、結果以上に大切なものがあるのかもしれない。
 
 森保監督は、JFAに託された仕事を見事に全うした。ラウンド16で3度跳ね返された歴史があるので「ベスト8以上」を公言して来たが、当該試合に到達するまでの難易度は過去6度出場して来た大会との比ではなかった。

 またシーズン中に開催される異例の大会では、コンディションの読めない選手が多く頭痛の種になったことは想像に難くない。メンバー26人中22人が欧州クラブへの在籍歴を持ち、戦力のバランスや経験値は過去最高だったが、逆に選手たちが顔を揃える時間は極端に短縮され、トレーニングマッチの選択肢も一気に狭まった。

 こうした逆境下で、森保監督は本大会に入ると、まるで生まれ変わったかのように別の顔を見せた。対戦国との力関係を冷静に読み取り、90分間で劇変のシナリオを描いた。

 4年間でこびり付いた慎重居士のイメージを振り払い、5人交代枠をフル活用しながら未検証の戦い方も躊躇なく選択し、それまで1度もなかった逆転劇をドイツ、スペインを相手に完結させた。

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 しかし反面、2試合ともにポゼッション率は20%台で、伝統的に自慢の攻撃的MFや、今回の切り札だった伊東純也や三笘薫が輝く場所と時間は限定された。結果を導き出すために我慢を強いる采配だったが、もし少ないチャンスをゴールに繋げる効率性を引き出せなければ得るものは少なかった。

 今までの日本サッカー史を振り返れば、いくつかの語り継がれて来た「奇跡」がある。旧くは1936年に優勝候補のスウェーデンを下したベルリン五輪、1964年東京五輪ではアルゼンチンを逆転で下し、1996年アトランタ五輪ではドリームチームと言われたブラジルを破った。

 しかし「奇跡」が劇的に進化を促すことはなかった。カタールW杯も、2度繰り返された逆転劇を「奇跡」とは言わないまでも、やはり再現性は乏しい。森保監督は「良い守備から良い攻撃へ」と繰り返し、大会2か月前のアメリカとの親善試合では予兆も見せたが、本番で顔を合わせる優勝経験国に同じ戦い方は通用しなかった。

 最終的に森保監督は策士としての有能ぶりを発揮して世界中の予想を覆したわけだが、一方でどんな相手に対しても確固たる哲学を貫き通す監督もいる。

 過去にアルベルト・ザッケローニ監督時代には「自分たちのサッカー」にこだわり、対戦相手に即した対応力不足の声が高まったが、例えば現在のJ1を見れば川崎や横浜は独自のスタイルで二強時代を築きつつあり、J2でも新潟や熊本がコンセプトを徹底して進化を遂げた。
 
 これまでJFAは4年に1度の祭典での結果に最も重きを置き、その度に代表監督を代えて来た。だが強化の道筋を顧みれば、哲学そのものが微妙に右往左往して来た印象は否めない。

 日本にとってラウンド16の壁は悪夢のように立ちはだかっているが、ベスト4、さらには優勝を目ざすとなると別世界並みの環境整備や革命が要る。

 優勝経験を持つ8か国の中では、イタリアだけが比較的守備の美学を基盤として来たが、それでもタイトルを奪取した大会は攻撃にも卓越したタレントを揃え、カウンターの精度や頻度が突き抜けていた。

 フランスは1980年台からMFの創造性を武器にベスト4以上に5度も到達して来たし、スペインの開花がハイテンポのボール回しを意味するティキタカを原点とするのは周知の通り。トータルフットボールという一大革命を起こしたオランダでも、ベスト4に5度も到達しながら3度も決勝戦で跳ね返されている。

 今ではポゼッションで劣勢のチームが勝利するケースも少なくないが、世界一を獲ろうとするならいずれは相手よりボールを保持する術を極めていかなければならないし、それは日本人の体格的な特質を考えれば尚更だ。


 
 ここまで4年間で森保監督はボトムアップ的な発想を取り入れ、選手たちの闊達な意見交換などを促し、それが個々の対応力に繋がったようだ。しかしもはやこれだけ海外でプレーする選手が増えている状況で、個々が生き残るためには積極的な自己主張やアピールは必須条件になる。

 それ以上に重要なのは、これから日本が何を武器に、どう戦っていくのかを明示する哲学ではないだろうか。

 スペイン戦で指揮官は、バルセロナと戦った時のフランクフルトのプレッシング方法を鎌田大地から聞いて選択したという。それは多様な意見から最善を引き出すボトムアップ方式の醍醐味だが、逆に日本の現状を考えれば、再度欧州シーンに身を置き先端の戦術を捻り出す側の指導者から刺激を求めるべきではないだろうか。
 
 あるいはどうしても森保監督のマネージメント力や人柄に全てを託したいなら、適任の見識者を探しサポートにつけるべきだと思う。一枚岩なのは良いが、時にはスタッフ内での異論も大切だ。

 代表監督が一国のサッカーを変えていくことはできない。しかし特に日本では代表監督の影響力が甚大で、フィリップ・トルシエ時代などは子どもの現場まで3バックが常識化した。

 日本サッカーの個の力は著しく成長している。だが現状のまま時が経てば、いつかロナウドやメッシのような怪物が現われてカップを掲げてくれるという幻想は捨てたほうが良い。日本全土で特性を活かせる哲学に即したプレーが共有され歴史を重ねていけば、いつか独自のスタイルに適したキャプテン翼が誕生して来るはずである。

文●加部究(スポーツライター)