無名だった学生時代から日本代表を支えるサイドアタッカーへ

日本代表において三笘薫と双璧をなす、スピードサイドアタッカー・伊東純也はまさに『遅咲きの苦労人』だ。

今でこそ代名詞とも言えるずば抜けたスピードと一瞬のキレを武器に、日本代表の主軸としてチームを牽引。ベルギー1部リーグのKRCヘンクでも存在感を発揮すると、今年7月にはリーグ・アン(フランス)のスタッド・ランスへ完全移籍を果たした。新天地でもすでに欠かせない存在になるなど、着実にステップアップしている。

だが、伊東は芽が出るのが遅い選手だった。小学校や中学校で無名だった選手は数多くいるが、高校、大学でも決して名を馳せる存在ではなかった。生まれは神奈川県横須賀市。小中時代を横須賀シーガルズジュニアユースでプレーをすると、逗葉高校に進学。神奈川といえば、桐光学園や日大藤沢、桐蔭学園と言った強豪の私立が有名だが伊東は県立高校に進んだのだ。

その逗葉は、今から25年前に全国高校サッカー選手権大会に出場。しかし、以降は分厚い私立の壁に弾かれて、県内で結果を残せていなかった(1998年以降で公立で選手権出場をしたのは2010年の座間高校のみ)。実際に伊東も高校3年間で一度も全国に出ることはできなかったが、逆に持ち前のスピードを伸び伸びと活かすプレーをやり通せたことが、後々に大きく影響を及ぼす。

スピードでの単騎突破に磨きをかけ、この明確な武器が目に止まって複数の大学から声がかかり、その中で地元の神奈川大に進学。ここでも伊東のドリブル突破は猛威を振るい、大学3年になると関東大学サッカーリーグ2部で得点王とベストイレブンを受賞。4年生でも2部でアシスト王、2年連続ベストイレブンに輝くなど、メキメキと頭角を現した。

当時の伊東は、とにかく速かった。ただ速いだけではなく、ボールを持っている状態でのスピードも速い。ドリブル中にシザーズや変化のボールタッチを入れても周りが追いつけないほどの、ずば抜けたスピードだったことを覚えている。

さらにそれだけのスピードを持っていて、かつプレー強度が落ちない。スプリンタータイプのドリブラーは、フィニッシュ時に疲労の影響でプレー精度が落ちてしまうことがある。しかし伊東は強度を維持したまま、プレーを完結できる力強さがある。だからこそシュートもクロスの質も当時から高かった。

だが、それでもすぐにJ1の強豪クラブに加入できるほど、プロは甘くなかった。大学4年間のうち最初の2年間は関東1部だったが、3、4年が2部でのプレーとなったことも少なからず影響をしただろう。

しかし最初に加入したヴァンフォーレ甲府で、伊東のサッカー人生はさらに大きく成長する。甲府は伊東の爆発的なスピードという特徴を消すことなく、むしろそれを存分に発揮できる環境を作り、1年目から30試合で起用した。そこでのパフォーマンスが認められると、翌年にはJ1の柏レイソルへ完全移籍。柏でも不動の存在となり、前述した経歴へと繋がっている。

カタールの地で日本の主役となり世界を驚かす

コツコツと力をつけてステップアップを重ねてきた人生。それはスピードという武器だけでは得られないものだ。弛まぬ努力とインテリジェンスで自身を磨き、あらゆる監督の下、さまざまな戦術に合わせて、自分の武器であるスピードをチームに還元する術を身につけたからこそ。

29歳は、サッカーの世界において決して若いとは言えず、むしろベテランに近い年齢だ。しかしこれだけは、はっきり言える。彼にとって今が全盛期なのだ。スピード、一瞬のキレ、フィニッシュワークの強度は衰えるどころか、今もなお進化をし続けている。

まさに大器晩成、遅咲きの花と言える伊東純也。これまでコツコツと積み上げてきた努力をカタールの地で爆発させて欲しい。日本の主役として、世界の名手の一人として名乗りを上げるべく。

文・安藤隆人

photo:徳丸篤史 Atsushi Tokumar

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