球際で強さを発揮するプレースタイルで日本代表を支える
守田英正は、日本の中盤を成すトライアングルの一角として安定感抜群のプレーを披露している。持ち味は球際の強さと、ボールキープに加え、パスセンスも非常に繊細で安定しており、奪ってからの展開力と攻撃のスイッチを入れるセンスに長けていることにある。
金光大阪高時代は、動きのダイナミックさで攻撃にアクセントを加えていく選手だった。トップ下として球際の激しさやキックの強さを持ち、さらに足元の技術が非常に高かった。運動量で勝負する選手だと思って見ると、意外とボールタッチが細かく繊細なイメージを受けた。
だが、高校3年間で全国大会出場は叶わず、プロからの声もかからなかった。しかし、ある人物が守田の才能に惚れ込んでいた。
埋もれかけた才能を引き上げてくれた恩師との出会い
流通経済大学サッカー部でコーチ兼スカウトを担当する大平正軌だ。大平コーチは守田が高校2年生の3月に行われたフェスティバルでプレーを見た時に「背筋がピンとしていて、物凄く姿勢のいい立ち姿に雰囲気を感じた」と引き付けられた。その後も注視すると「トップ下にも関わらず運動量が豊富で、どこにでも顔を出せる選手。もし、もっとプレー面での整理整頓ができれば、より大きな能力を発揮できる選手になるかもしれない」と大きな期待を寄せるようになった。
大平コーチはすぐに獲得に向けて動き出す。プロからの声がかからなかったこともあり、守田を流通経済大に迎え入れることができた。
入学当初は、豊富な運動量とキックのセンスを買われて右サイドバックとしてプレー。チームを率いる中野雄二監督はこの意図として、明確な役割があるポジションを与えることで守田のプレーの整理と、足りなかった守備力を磨く狙いがあった。
争奪戦を経て川崎フロンターレに入団。今ではポルトガルの強豪でプレー
中野雄二監督、大平コーチの育成アプローチを受けた守田はさらに成長し、大学3年の終わりのデンソーチャレンジカップでボランチ起用されると、見事にその大会でMVPを獲得。当時、サイドバックとして獲得を考えて動いていた川崎フロンターレだったが、ボランチでここまでのプレーができることに衝撃を受け、ボランチ起用も視野に入れての獲得に切り替えた。同時に他のJ1クラブも獲得に動き始めたことから、激しい争奪戦が繰り広げられたエピソードもある。
大学4年時は不動のボランチとして現在のプレースタイルの土台を作ると、川崎では1年目から頭角を現し、在籍3年で不動の存在となって、ポルトガルリーグ1部のCDサンタ・クララに完全移籍。海外へと羽ばたいていった。
そこでもわずか半シーズンでチームの攻守の要としての役割を果たした守田は、今年7月にポルトガル屈指の強豪クラブであるスポルティングCPに移籍をすると、念願だったチャンピオンズリーグに出場。ヨーロッパでのキャリアを着実に積み重ねている。
日本代表でも欠かせない選手へと成長
同時に日本代表においても試合を重ねれば重ねるほど、存在の重要性は高まっていった。豊富な運動量とともに、常に中央で強度の高いプレーが攻守にでき、かつ繊細な技術、独特のアイデアも持ち合わせている。特に遠藤航と田中碧との中盤の組み合わせは相性抜群で、三人でポジションを入れ替りながら攻撃のテンポアップ、ダウン、そしてブロック形成、前からのプレス、フィニッシュワークにも関わることができる。
この成長ぶりに大平コーチも「年々着実に上手くなっている。完全に今のチームの軸になっている」と目を細める。そして守田がここまで成長できた要因をこう語ってくれた。
「彼はもう心の底から競争することが大好きなんです。競争相手を見つけると、もっと上手くなろうと向上心に火を付ける。競い合って伸びる選手なんです」。
確かに守田のサッカー人生を見ると、最初からスター選手ではなく、無名の存在から競争を積み重ねてステップアップを遂げてきた。日本代表においても多くのライバルと切磋琢磨をして今の立場がある。カタールの地でも仲間と切磋琢磨をし、ハイレベルな相手との競り合いの中で己の力を磨いていくであろう。それが守田の生きる道である。
文・安藤隆人
photo:徳丸篤史 Atsushi Tokumar