――松坂さんは小学校のとき、サッカーチームに入りたかったと聞いたことがあります。
松坂 子どもの頃は野球よりもサッカーをやることのほうが多かったんです。壁や地面にチョークでゴールの枠を描いたり、広場を囲うフェンス3つ分をゴールに見立てたりして、近所の友だちと5対5とかのサッカーをしていましたね。だからサッカーチームに入りたかったのに、練習場が家から遠くて親の送り迎えが大変だからという理由であきらめて、近くの野球チームに入ったんです。もしあのときサッカーチームに入っていたら……たぶん、そこそこはやれていたんじゃないですか(笑)。
――野球ではエースで4番の松坂さんです。当然、フォワードとしてシュートを打ちまくっていたんですよね。
松坂 いやいや、フォワードという感じではなかったですね。僕は『キャプテン翼』の大空翼が好きだったんです。翼君って、ストライカーではないですもんね。僕も小学校のサッカー大会ではミッドフィルダーとしてセンタリングを上げるとか、ゴールキーパーになってシュートを止めるとか、そういうポジションが好きでした。積極的に前へ出ていくタイプではなかったので、みんながフォワードをやりたいなら僕は後ろでいいよ、みたいな……そうは言っても、自陣のゴール前からシュートを決めてやるぐらいの気持ちはありましたけどね。できるはずもないのに体育館にマットを敷いてオーバーヘッドキックの練習をしていました(笑)。
日本代表として戦う感動
――なぜ野球マンガではなく、『キャプテン翼』にそんなに惹かれたんでしょう。
松坂 翼君が全国大会で戦ったライバルたちとジュニアユースの日本代表を結成して、ヨーロッパへ遠征するんです。そこでヘルナンデス君がいたイタリア代表、ディアス君のいたアルゼンチン代表、ピエール君のフランス代表を倒して、最後、決勝でシュナイダー君を擁する西ドイツ代表に勝って、ワールドユースで優勝する。子供心に、翼君たちが日本代表として海外のチームと戦っている姿はカッコいいなと思っていました。僕、中学のときに野球の日本代表としてブラジルへ行っているんです。日の丸のついたストライプのユニフォームを着て、試合前に『君が代』を歌って……ものすごく感動したのを覚えています。
――松坂さんにとって、憧れのサッカー選手は誰だったんですか。
松坂 それはカズ(三浦知良)さんと井原正巳さんです。カズさんは華やかで太陽みたいな選手ですが、僕はカズさんとはひと味違う井原さんのカッコよさにも惹かれました。ディフェンダーの井原さんは日本代表のキャプテンでしたよね。決して派手ではないけど仲間を鼓舞して日本のゴールを守っていた。後ろから仲間を支えながら、フィールドで戦うその佇まいには、子供心にカッコいい大人だなと思って見ていましたね。
――サッカー選手のカッコよさって、どんなところですか。
松坂 中学生になってサッカーを始める友だちがけっこういたんですけど、みんな、髪を伸ばしてるじゃないですか。それが羨ましかった(笑)。野球は中学生になれば坊主なのに、サッカーはみんなが髪を伸ばして、オシャレで、モテると思っていました。当時から国見とか鹿実とか、坊主頭のサッカー部はつい、応援したくなっちゃいますね」
――これまでのW杯はご覧になっていたんでしょうか。
松坂 日本が初めて出場した1998年のフランスW杯当時、僕は横浜高校の3年生でした。ちょうどセンバツで勝って、夏の大会が始まる前の6月開催でしたが、同い年の市川大祐君(清水エスパルス)が日本代表のメンバーに入るかどうかで話題になっていたことを覚えています。最後の最後で外れましたが、17歳で日本代表なんてすごいなと思っていました。字は違いますけど、市川君も同じ“ダイスケ”ですし(笑)。
ゴール裏で見た日本のW杯初勝利
――それは親近感が湧きますね……2002年の日韓W杯はいかがでしょう。
松坂 僕、ロシア戦を横浜へ観に行っていたんです。国際試合の異様な雰囲気には僕も緊張しましたね。しかも人生で初めてナマで観たサッカーの試合が、記念すべき日本のW杯初勝利の試合だったという(笑)。稲本潤一選手のシュートがゴール右に決まって、1−0で日本が勝った……僕、ロシアのゴール裏にいたのでシュートがよく見えました。
――まもなくカタールW杯が始まります。どんなところを楽しみにしていますか。
松坂 競技に関係なく、オリンピックやWBC、W杯といった国際試合というのは、その競技のルールに詳しくなくても感動をもらえると思うんです。日本代表として純粋な想いで戦ってくれている選手たちを僕も純粋に応援したいなという気持ちになります。簡単なことじゃないとは思いますが、過去最高の成績を収めることを願いながら試合を見ていくと思います。
――過去最高ということは、W杯のベスト8ですね。
松坂 ファン目線で言うなら、グループステージを勝ち抜くためには力の落ちる相手と対戦するほうがいいのかもしれません。でもベスト8と言わず優勝を目指すのなら強いも弱いも関係ない。スペイン、コスタリカ、ドイツを倒して、ブラジルとかフランスとか、そういう強いチームと戦うところを見たいですね。
――松坂さんはシドニー五輪で4位、アテネ五輪で銅メダルを獲得しましたが、いずれも準決勝で敗れました。そして、その後のWBCでは二度とも準決勝の壁を超えて連覇を果たした……突破できなかった壁を超えるために必要なものは何だと思いますか。
松坂 ああ、そうか……なるほど、確かに準決勝の壁ってありましたね。いやぁ、難しいな。野球の場合はピッチャーと野手で感じ方は違うかもしれませんが、負けられない予選を戦ううちに、毎日、試合に出なくちゃいけない野手の人たちは疲弊してしまうのかもしれません。ただ僕は、たとえばずっと勝たなきゃいけない気持ちを持っていたとしても、その気持ちがバテるということはないんです。メンタル面でのスタミナというんですかね。
厳しい練習がメンタルを鍛える
――メンタルのスタミナ?
松坂 高校時代も、春のセンバツで優勝してから、負けちゃいけないというものを背負わされて戦ってきました。公式戦で一度も負けていないという中で、秋の明治神宮大会から春夏の甲子園、秋の国体まですべて優勝しましたが、勝ち続けなきゃいけないと思い続ける負担は、途中からはなくなっていましたね。勝ち続けるしんどさはありませんでした。
――どういうふうに考えたら、そんな気持ちになれるんですか。
松坂 何ですかね……普段の練習がキツすぎて、試合のプレッシャーがなかったのかな。試合は休めるものだと思っていましたし(笑)、もちろん甲子園のPL学園との延長17回のようなキツい展開の試合もありましたが、練習のほうが精神的な負担は遥かに大きかったので……練習以上にしんどいものはなかったし、だから試合で緊張することもなかったんだと思います。
――それだけの厳しい練習をしてきたことが勝ち続ける間の支えになっていたんですね。
松坂 もちろん打ちたい、抑えたいという気持ちはありましたが、何が何でも勝とう、勝たなきゃならない、みたいな気持ちがなかったから、逆に結果が出ていたのかもしれません。僕、試合の途中から試合後の練習のことを考えていたんです。そっちのほうが圧倒的にストレスだったので(苦笑)、それが試合を楽に感じさせてくれていたんでしょうね。
若くして代表を背負うということ
――今の日本代表の中でキーマンは誰になると思いますか。
松坂 誰が日本代表の中で圧倒的なパフォーマンスを見せないと厳しくなるのか……そこはむしろ僕が訊きたいくらいです(笑)。でも、やっぱり久保建英選手が活躍すればブレイクするんでしょうね。久保選手は小さい頃からみんなが知っている選手ですし、いつかは日本代表の中心的存在になると思って応援してきた人も多いと思います。ついにそういうタイミングが来たのかと思う反面、まだ21歳ですから、久保選手にそこまで背負わせていいのかなという気持ちもあります。
――シドニー五輪では20歳で日本代表を背負わされていたじゃないですか。
松坂 いやいや、まあ、そうだったかな(笑)。だから久保選手が背負うことになっても僕はいいと思うんですけど、でも、もしそうなるならサポートする周りの先輩方の存在が大事になってくると思います。僕も当時は杉浦正則さん(日本生命)や黒木知宏さん(ロッテ)、他にもいろんな先輩たちに支えてもらいましたから……。
――今回のW杯ではポルトガルのクリスティアーノ・ロナウドとアルゼンチンのリオネル・メッシという、世界のサッカーを引っ張ってきた2人が最後の大舞台になるのではないかと言われています。彼らに期待するところというのはいかがでしょう。
松坂 ロナウドとメッシがどんなサッカーを見せてくれるのか、僕もすごく楽しみにしています。今までのW杯では、彼らの本来の姿からすれば、そこまで圧倒的な力を見せつけてはいないと思うんです。だから、もし本当に今回が最後のW杯になるのなら、強烈なインパクトのあるサッカーを見せて欲しいですね。おいおい、これなら4年後もまだ活躍できるんじゃないかとイメージさせてくれるような、そんな年齢を感じさせないプレーを見たいと思っています。
(構成=石田雄太)
松坂大輔(元プロ野球選手)(まつざか・だいすけ)
1980年9月13日生まれ、東京都出身。横浜高3年の夏の甲子園・決勝戦でノーヒットノーランを達成し春夏連覇。卒業後、西武に入団し、1年目4月の初先発で勝利を挙げるなど「平成の怪物」の異名通りに活躍。07年レッドソックスに移籍、その後メッツ、ソフトバンク、中日などで活躍し、21年限りで引退。WBCでは06年、09年とも3勝を挙げ優勝に貢献した。NPB通算114勝、MLB通算56勝。