学生時代から光る才能。一切妥協しない強いメンタリティ
前回のロシア・ワールドカップ(W杯)では日本のコントロールタワーとして攻撃の中枢を担った柴崎岳。いつも冷静沈着という言葉がふさわしい彼は、青森山田中学時代からずっと「本当に中学生か?」、「本当に高校生か?」と思うほど大人だった。
表情はあまり変わらない。凛々しい顔立ちとコメントも相手の話をじっくりと聞いてから、一度自分で飲み込んで言葉にする。そしてピッチに立てば、全体を俯瞰しているかのようにピッチ上を見渡して、正確無比なパスをズバズバと通していく。
中学2年生の時から青森山田高の一員としてプレーし、最大で4学年も上の選手にも一切遠慮はしない。気の抜いたプレーや集中力を欠いたプレーをした味方には容赦無く怒りをあらわにしたり、厳しく要求したりする。それは全て自身が成長するためであり、チームが勝利するためだった。
「ピッチ上で学年は関係ない。遠慮していたら、逆にチームに迷惑をかけてしまう」
中学2年生とは思えない強い気持ちのこもった言葉に驚いたのを覚えている。サッカーに対するストイックさは、ここから一切ぶれることなく、柴崎の中枢にあり続けた。高校1年生から10番を背負い、周りに厳しい要求をする一方で、自分自身も一切プレーに妥協をしなかった。納得のいかないプレーはとことんまで自己反省し、かつ分析をして次の練習から課題として改善に取り組む。試合で負ければ心の底から悔しがり、勝てば喜ぶ一方で必要以上に浮かれないし、慢心を持たない。
高校2年生の時、全国高校サッカー選手権で準優勝を果たした。柴崎は大きな注目を浴びたが「見られている以上、恥ずかしいプレーはできない。でも、大事なのは注目どうこうではなく、自分自身の意識がどうあるべきか。そのために進路を早く決めて、よりプレッシャーのかかる状態で何ができるか、どう成長できるかを考えていきたい」と語ったように、高校2年生の2月で早々に鹿島アントラーズ内定を決めた。
常勝軍団である鹿島アントラーズで成長し、スペインクラブを渡り歩く
常勝軍団である鹿島アントラーズに入ってからも、レジェンドである小笠原満男から学ぶだけではなく、時には厳しい要求や妥協しないコミュニケーションをピッチ上で繰り広げ、プロとして心身ともに一流選手へとなっていった。
2017年に鹿島からスペインに渡り、テネリフェ、ヘタフェ、ディポルティポ・ラ・コルーニャ、CDレガネスと4クラブでプレー。苦しい時期もあったが、彼らしく一切妥協することなく、ピッチ上で熱く、かつ冷静にプレーをし続けた。その大きな結果がロシアW杯だった。
現在、彼は30歳。カタールW杯を控える日本代表においてレギュラーを獲得できているわけではないし、選出が確実視されているわけではない。現に直前のドイツ遠征では試合に出場することはできなかった。だが、柴崎は常に冷静沈着で物事を俯瞰で見つつ「まだまだやれる」と情熱をさらに燃え上がらせているに違いない。
「サッカーは良い方に転ぶこともあれば、失敗に終わることもある。そこは常に自分にベクトルを向けて考えて、自分自身で整理すれば良い」
何が起こっても受け入れて前に進むのみ。柴崎岳はこれまで通りの信念でメンバー発表の瞬間を待つ。
文・安藤隆人
photo:徳丸篤史 Atsushi Tokumaru