FIFAワールドカップカタールの開幕まであとわずか。サッカー日本代表がAFCアジアカップ準優勝やカタールW杯予選敗退の危機など、紆余曲折を経てきたのと同じように、選手個人にもこの4年間で様々なドラマがあった。今回は、オランダからドイツへの活躍の場を変えた堂安律の4年間を振り返る。(取材・文:藤江直人【カタール】)

●「上手くなるための一番の近道」

 急がば回れ、ということわざが、これほど鮮やかに当てはまるケースも珍しい。22歳だった2年前の晩夏に堂安律が下した決断と、その後の軌跡を見てあらためて思う。

 ガンバ大阪からヨーロッパへ渡って4シーズン目。そして、オランダの強豪PSVの一員になって2シーズン目をスタートさせようとしていた2020年9月5日。堂安は12シーズンぶりにブンデスリーガ1部へ挑む、アルミニア・ビーレフェルトへの期限付き移籍を決断している。

 エールディビジからヨーロッパ5大リーグのひとつ、ブンデスリーガ1部への移籍はステップアップとなる。しかし、対照的に21回のリーグ優勝を誇るPSVから昇格組のビーレフェルトへの移籍は、決してステップアップには映らない状況を誰よりも堂安自身が理解していた。

 世界中がコロナ禍に見舞われていた2020年10月。ヨーロッパ組だけが招集され、オランダでカメルーン代表、コートジボワール両代表と対戦した日本代表活動中に堂安はこんな言葉を残している。

「チームの格で言えば、もちろんPSVの方が上であることは僕もわかっています。周囲からしてみれば、PSVで活躍した方がさらにビッグクラブへ移籍できるとか、あるいは成長するための近道に見えがちかもしれません。ただ、少し遠回りに映るかもしれませんけど、僕にとっては強くなるために、上手くなるための一番の近道だと感じて決断しました」

 ガンバから期限付き移籍したフローニンゲンで結果を残し、2年目の2018/19シーズンには完全移籍にスイッチ。迎えた2019/20シーズンからは、1913年に創立されたPSVの長い歴史上で初めての日本人選手になった。しかし、出場機会を重ねるたびに胸中には違和感を募らせていった。

●ドイツ移籍で感じたスタイルの違い

「PSVでは自分の周りにスーパーな選手がいる分、自分が1対1で仕掛けるのをやめて、味方へのパスを選択する場面が多くなっていった。本当に少しずつですけど、プレースタイルが自分らしくないというか、ネガティブなものになっていったと感じていました」

 ブンデスリーガ1部で初めてプレーした2020/21シーズンの結果を振り返れば、堂安はリーグ戦で全34試合に出場。そのうち先発は33回を、プレー時間は全体の94.1%にあたる2879分をそれぞれ数えた。ブンデスリーガ1部でプレーした日本人選手では、リーグ戦全試合出場は1982/83シーズンの奥寺康彦(ブレーメン)以来、38年ぶり2人目の快挙だった。

 冒頭で記した急がば回れには、危険な近道より遠くても安全で確実な方法、という意味も込められている。PSVで右肩下がり状態だった数字を、昇格組のビーレフェルトならば好転させられると考えたのか。堂安は「試合に出られるかどうかで、選んだわけではありません」と首を横に振った。

「大きな成長曲線を描きながら、さらに化けていくためには環境を、つまりプレーする国を変える、というのが選択肢のひとつになっていました。実際、国によるスタイルの違いはこんなにも大きいのかと、シーズンを通して新鮮な気持ちでプレーすることができました。オランダは3点取られても4点取ればいいという攻撃的なスタイルでしたが、ドイツは例えば1-0で勝つとか、堅い展開になる試合が多いなかで守備の仕方もまったく違うと感じていたので」

 しかし、ビーレフェルトで送った、心身ともに充実した日々はわずか1年で終わりを告げた。ビーレフェルト側は買い取りオプションの行使を目指したが、コロナ禍で減収を余儀なくされた状況下で500万ユーロ、当時のレートで約6億6000万円に達した違約金はあまりにも高額だった。

 コロナ禍で延期されていた東京五輪を間近に控えた昨年6月。U-24日本代表に招集されていた堂安の退団を発表したビーレフェルトは、別れを惜しむように公式サイト上にこんな言葉を掲載した。

●「こんなことを言うと正しいのかどうかわからないですけど…」

「遊び心や創造性、驚きの連続によって、リツは瞬く間に相手チームが非常に守りにくい、われわれの武器へと成長を遂げました」

 そして、サッカー人生で初めて「10番」を託された東京五輪へ、所属先をPSVに戻して参戦した堂安も、チャンスを与えてくれたビーレフェルトへ感謝の思いをシンクロさせている。

「相手をいなすプレーというか、遊び心がないと見ている人も楽しくないし、見ている人が楽しんでくれないと自分も楽しくないし、何よりも自分が楽しめなければ調子自体も悪くなっていく。そういうリンクをさせないように、かなり意識しながらプレーしてきた。ビーレフェルトでもなかなか点が取れず、苦しい時期ももちろんあったけど、そのなかでもチームが常に僕に自信を与えてくれた。そういう立場を与えてくれたチームの全員に、本当に感謝しています」

 ビーレフェルトでの1シーズンが、堂安をどのように変えたのか。答えの一端は東京五輪を含めた昨夏のU-24日本代表で何度も見せた、MF久保建英との息の合った、変幻自在なコンビネーションにあった。

「こんなことを言うと正しいのかどうかわからないですけど、感じたままに動いて、感じたままにプレーするのが、2人のよさを最も引き出し合えると思っています」

 当時の堂安は久保に対してこう言及している。基本的なポジションは堂安が2列目の右サイドで、久保がトップ下。しかし、2人は展開や状況によってポジションを頻繁にチェンジ。相手を惑わせ、自分たちが主導権を握って攻撃できていると久保も以心伝心で語っている。

●堂安律にとって「久保建英」はどういう存在なのか

「正直、感覚ですね。話し合っているところもありますけど、実際に試合に入ったら感覚なので。けっこう波長も近いですし、すごくわかりやすいですね」

 堂安は東京五輪世代のチームではなく、前回ロシア大会後に船出した森保ジャパンで、初陣からA代表に名を連ねてきた。そして、約9カ月後の2019年6月。FC東京からレアル・マドリードへ移籍する直前の久保が初招集され、華やかなスポットライトを浴びた。

 ともに左利きの2人は、A代表では2列目の右サイドでポジションが重りがちだった。そのなかで比較されるケースが多かった久保へ、堂安は感謝の思いを語ったことがある。

「建英の存在には刺激しか感じないですよ。建英の成長によって焦らされる自分がいるので。生かし、生かされながら、チームのためにいいプレーができれば。僕は建英のよさをわかっているし、建英も僕のよさをわかってくれている。そこは理屈や戦術だけじゃ上手くいかない部分でもある」

 しかし、代表での戦いの舞台を東京五輪からアジア最終予選へ移した昨年9月以降で、なかなか共演できるチャンスが訪れない。堂安の主戦場となる右サイドハーフには伊東純也が、久保のトップ下には鎌田大地が君臨。システムが4-3-3へスイッチしてからは、先発する機会がさらに遠のいた。

 敵地シドニーで難敵オーストラリア代表を撃破した日本代表が、7大会連続7度目のワールドカップ出場を決めた今年3月シリーズで、堂安はついに選外となった。負傷している場合か、あるいは東京五輪代表に専念している場合を除けば初めてとなる事態に、さらに拍車をかける出来事があった。

 3月シリーズで選外になった直後の3月16日。堂安が自身のツイッター(@doan_ritsu)へ投稿したつぶやきが、森保一監督への意趣返しなのではないかと波紋を呼んだ。

●悔しさと感謝「落選したことで…」

「逆境大好き人間頑張りまーす! あ、怪我してません!!」(原文ママ)

 森保監督はその後の4月に行ったヨーロッパ視察で、堂安をPSVへ訪ねて話し合いの場を持っている。指揮官と共有した時間を「監督が思っていることを、伝えてくれました」と振り返った堂安は6月シリーズで復帰。ツイートを含めて、落選した当時の胸中を正直に振り返った。

「僕自身は日本代表に入りたい、という気持ちでサッカーを始めたので、もちろん悔しい思いがありました。それでも、いまでは感謝しているというか。あのように落選したことによって、いまの自分がいると思っているので。なので、いまは特に気にしていません」

 選外になった直後から、PSVで堂安が刻んでいた軌跡はさらに右肩上がりに転じた。リーグ戦で3つのゴールを積み重ねて、フローニンゲン時代の2017/18シーズン以来となる、公式戦での2桁ゴールに到達。リーグ戦の優勝をさらわれた宿敵アヤックスを逆転で撃破した、国内のすべてクラブが参加するKNVBカップ決勝では後半途中からピッチに立って戴冠の瞬間を味わった。

 実は昨シーズンを終えたあたりから、堂安は以前とは異なる雰囲気を漂わせ始めていた。ギラギラしたオーラではなく、自然体と表現すればいいだろうか。例えば6月シリーズから幕を開けた、カタールワールドカップ代表入りをかけた戦いを次のように位置づけている。

●「評価を僕ではなく周りがしてくれる」

「サバイバルというのは特に意識していません。人のことを考えすぎると、自分の場合はダメになってしまうので。周囲にあまりとらわれすぎず、自分のプレーに集中します。そのなかで活動が終われば、サバイバルに対しての評価を僕ではなく周りがしてくれる。もちろん競争はウェルカムですけど、自分と誰かを比較することはない。ワールドカップは小さなころからの夢だし、どのような舞台なのか想像もつかない。一日一日を頑張ってたどり着けたらいいな、と思っています」

 アカデミーを含めたガンバ時代からフローニンゲン、2度におよぶPSV、ビーレフェルト、そして今シーズンから所属するブンデスリーガ1部のフライブルクでキャリアを重ねながら、堂安は明確な目的地を視線の先に記している。もちろん、それは一度もぶれたことがない。

「特別な選手に、何か違いを生み出せる存在になりたい」

 急がば回れを掲げたのは、目的地にたどり着くためのルートを意図的に変えたからだ。そして、必ず通過しなければいけないマイルストーンのひとつ、カタールワールドカップに臨む日本代表メンバーに晴れて名を連ねた。高ぶる魂を自然体というオーラで包み込みながら、堂安の挑戦が幕を開ける。

(取材・文:藤江直人【カタール】)

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