■11月23日/カタールW杯 グループE第1戦 日本代表2ー1ドイツ代表(ハリファ国際スタジアム)

「内側(ないそく)仲間」のホットラインが、ドイツを撃破する決勝弾を生み出した。浅野拓磨と板倉滉である。

 ドイツ・ブンデスリーガのクラブでプレーするふたりは、9月に内側じん帯を負傷した。浅野は右足、板倉は左足だが、負傷個所とその症状は同じだった。

 浅野は言う。

「ケガしてからリハビリで毎日顔を合わせていて、『やれるよ』って励まし合いながらここまでやってこられた。このホットラインができたのは、準備してきた結果かなと思います。滉がボール持った瞬間に、『あ、これ来るな』と」

 板倉も浅野を見ていた。

「同じタイミングで拓磨くんとひざをケガして、リハビリを一緒にしているからか分からないけれど、良く目が合う。あの動き出しは見逃したくなかったし、僕的にはちょっと遅れたかなと思いましたけど、拓磨くんが動き出したのが見えたので、迷いなくいいボールを届けたいなと思いましたね」

 83分だった。自陣で得た直接FKを、板倉が前線へフィードする。浅野はワンタッチ目でゴール方向へ持ち出すと、CBのニコ・シュロッターベックに身体をぶつけられながらもゴールへ迫る。外側へ押し出されることなく持ち運ぶと、至近距離から右足を振り抜く。世界的GKマヌエル・ノイアーを無力化し、ニア上を打ち破った。

「オフサイドかなという戸惑いもあったので、決めた瞬間は喜べなかったですけれど、ゴールが分かってからは『やったぞ』という気持ちでした」

■「決勝ゴール」の浅野が語った「みんなの気持ち」

 簡単なシュートではなかったはずである。アシストをした東京五輪代表は、ゴールを決めたリオ五輪代表FWを讃える。

「ああいう1本のスキを逃したくないと思っていたけれど、あれを決めるのは相当難しかったと思う。ゴールに押し込んでくれたことで、小さいですけれど僕にアシスト1がついた。拓磨くんの個人技が光った。難しい態勢から決めてくれて、日本を救ってくれたと思います」

 浅野は「狙いどおり」と言わなかった。そう言ってもいいはずだが、言わないところに彼の思いがにじみ出る。

「正直ニア上を狙ったわけではないですけど、思い切って蹴った結果があそこにいって。思い切ってやったからこそ、ああいうコースに……まあ、みんなの気持ちが強いぶん、そういうものがボールに乗っかるのかなと改めて思いました」

 浅野が言う「みんなの気持ち」を、権田修一が言葉にしている。PKこそ与えたものの好セーブを連発した守護神は、この試合のマンオブザマッチに選出された。奇しくもその彼が、メンタルに触れているのだ。

「チームとしてこの試合に対して準備をしたことはありますけど、精神論みたいだと言われるかもしれないですが、やっぱり結局は強い気持ちを持って戦うとか、チャレンジし続けるとか、そういうものが出るなと改めて感じました。相手がこうくるからとか色々な準備は必要ですが、そこに中身がなければ机上の空論になってしまう。そこにみんなの魂が入ったおかげで、こういう試合ができたと思うんです」

■「今日の試合だけに関しては…」すでに気持ちは切り替わっている

 浅野個人の思いも、強かったはずである。

 2016年のリオ五輪で2ゴールを挙げ、直後に開幕したロシアW杯アジア最終予選では貴重な得点も記録した。しかし、所属クラブでプレータイムが減ってしまったこともあり、本大会のメンバーには選ばれなかった。

「4年前から1日も欠かさず、こういう日を想像して準備してきたので、それが結果につながっただけかなと思います。いま振り返っても、あの日ああしておけば良かったという日は一日もなくて」

 サンフレッチェ広島在籍時の指揮官でもある森保一監督のもとでは、チーム結成当初から日本代表に名を連ねてきた。ところが、カナダ戦までの58試合で、ピッチに立ったのは20試合にとどまる。スタメンは8試合だ。FWの序列で最上位に立つことのないまま、カタールW杯を迎えることになった。

 この試合でもチャンスを生かせなかった。それでも、板倉とのコンビネーションを生かして、大きな仕事をやってのけた。

「今日の試合だけに関しては、ヒーローになれたかなと思います」

 歴史を変える立役者となった28歳は、引き締まった表情のまま取材を終えた。今大会に賭ける思いが強く、大きく、重いからこそ、すぐに気持ちを切り替えたのだろう。4年分の思いをすべて解放するのは、まだ少し先になる。