カタールワールドカップが終了した。蹴球放浪家・後藤健生にとっては、最大の思い出のひとつがメトロとなった。世界中で敷設されている地下鉄だが、そこには各国それぞれの色も見える。現時点での終着駅から、かつて巡った国々へと記憶のレールをたどっていく。
■ドーハは地下を通るのみ
カタール滞在中は毎日のようにメトロ(地下鉄)を利用していました。日本とフランスの企業体によって建設されたメトロは、2019年に開通した自動運転の新しい交通システムです。
たとえば、決勝戦が行われたルサイル・スタジアムはメトロ「赤ライン」の北の終着駅「ルサイルQNB」駅の目の前でした。
僕はドーハの南アルワクラ市の宿泊施設に泊まっていたので、「赤ライン」の南の終着駅「アルワクラ」まで移動して、そこからシャトルバスに乗り換えれば泊まっていた部屋から100メートルほどの所に着くのでとても便利でした。
ルサイルは終着駅だったので1本待てば必ず座れましたし、大会中は「ゴールド・クラブ」と呼ばれる一等車も無料で解放されていたので、「ゴールド・クラブ」の車両が止まる位置を覚えて、いつもゆったりした椅子に座っていました。
埼玉スタジアムや日産スタジアムから家に帰るより、はるかに楽な移動でした(しかも、すべて無料!)。
他のスタジアムに行くときにもメトロで通うことが多く、滞在中は1日に2試合ずつ観戦していたこともあって、ドーハ市内はいつも地下を通り抜けるだけで、時々レストランで食事するために地上に出たのを除いてドーハの街並みを見ることは一度もありませんでした。
ですから、メトロはドーハでの最大の思い出だったような気がします。
■段々深くなっていく東京の地下鉄
世界各国の地下鉄の思い出は、この「蹴球放浪記」でも何度か取り上げました。たとえば、第130回「運動神経が必要な高速エレベーター」の巻で取り上げたのは北朝鮮の首都、平壌(ピョンヤン)ご自慢の地下鉄道でした。
ロシア・モスクワの地下鉄と同様に壮麗な装飾の駅が有名で、また大変に地下深いところを走っていました。案内人(監視人)に聞くと、「市内を流れる大同江(テドンガン)の下を通すためです」というのですが、戦争が起こった時に地下退避所(シェルター)として使われることは明らかです。
そういえば、ドーハのメトロも意外に深いところを走っていましたね。
東京の地下鉄では、1927年に開通した銀座線や戦後初めての開通となった丸の内線などは比較的浅いところを走っているのですが、その後の路線は既存の路線の下を通さなければいけないので、だんだんと深いところを走るようになっています。
でも、ドーハの場合は最近まで地下鉄はなかったわけですから、そんな深いところを走らさなくてもいいはずですが、おそらく、砂漠地帯の海岸沿いは地盤が柔らかくて、そのため地盤の安定している深いところに建設したのではないでしょうか?