世界中に広がっているサッカーだが、強さはさまざまだ。どのような要素が、代表チーム、あるいは選手のレベルを変えていくのか。アーリング・ハーランドという新時代のスターを素材として、サッカージャーナリスト・大住良之が切り込む。

■親戚で代表チームを席巻?

 フルネームはアーリング・ブラウト・ハーランド。「ブラウト」は母の姓である。長身のプロサッカー選手だった父だけでなく、母グリ・マリタ・ブラウトも、ブリン出身の有名なアスリートだった。1990年代に陸上競技の七種競技でノルウェー・チャンピオンとなったのだが、彼女自身の母親もやはり有名なアスリートで、グリの兄は有名なサッカー選手だったという。

 母グリ・マリタ・ブラウトには、兄のほかに2人の姉妹がいた。非常に興味深いことに、「ブラウト三姉妹」は、そろって近い年代の息子をもち、3人の従兄弟はいずれもプロサッカー選手、しかも将来有望な(ハーランドはすでに世界のスーパースターになっているが)ストライカーだという。

 従兄弟のひとり、ハーランドよりわずか2週間誕生日が遅い22歳のジョナタン・ブラウト・ブルンズは現在ノルウェーの1部のストレームスゴトセトでエースとして活躍している。そしてまだ18歳のアルベルト・ブラウト・ティアーランドは4部のブリン・リザーブでプレーしている。2人とも典型的な「9番(センターフォワード)」タイプで、ともに高い得点力でチームを牽引している。近い将来に「ブラウト家従兄弟トリオ」がノルウェー代表のFWとして活躍する可能性もあるのではないか言われているのだ。

■ステップアップの時期

 どうやら、ハーランドの才能は、父母から受け継いだものが重要な土台になっているらしい。しかしそれだけでは「スーパースター」は生まれない。少年時代にさまざまな競技に取り組んだこと、「適切な時期」(これが非常に重要だ)にオーストリア、ドイツとステップアップしながら経験を積んで成長し、才能を最大限に伸ばしたタイミングでプレミアリーグの雄マンチェスター・シティに移籍、「スーパースター」としての地位をつかんだのだ。

 ハーランドは15歳で2部リーグのブリンでデビュー、16歳で1部リーグ強豪のモルデに移り、18歳の誕生日を迎えたばかりの2008年8月にはオーストリアのレッドブル・ザルツブルクに移籍、南野拓実とチームメートとなる。1年半後、2020年の1月にはボルシア・ドルトムントに移籍する。そして2年半のプレーの後、ことし夏にマンチェスター・シティとの契約が決まるのである。

■圧倒的な「個」の力

 スマートとは言えないが力強いランニングであっという間にトップスピードに乗り、マークする相手を振りちぎる。つかんで止めようと思っても、猛牛のような突進を止めることなどできない。左利きで強烈な左足シュートの持ち主ではあるが、右足でもヘディングでもゴールを決める。

 大きな体に似合わず繊細なテクニックをもち、ボールを扱う技術も非常に高い。いったんボールを受けたら簡単に失うことはない。体をぶつけられてもしっかりと入れてボールを守り、逆に相手を吹き飛ばす。

 最前線に張ってゴールを背にボールを受け、味方に絶妙なアシストをするとともに、ときに中盤深く引いてパスを受け、組み立てに参加する。さらに、相手ボールになった瞬間には「凶暴」とまで言いたくなるような守備で相手からボールを奪い返し、あっという間にチャンスをつくる。圧倒的な「個」の力をもちつつ、チームプレーヤーとして最高度の貢献をし、味方と息を合わせてグループでプレーすることもできる。まさに現代的なスーパースターである。

 「トレードマーク」がジャンピングボレーだ。左からのクロスに対してジャンプしながら高く左足を上げ、アウトサイドでとらえてコントロールされたシュートをゴールに送り込むプレーはダイナミックそのものだ。アクロバチックなこのゴールは、彼が「僕のアイドル」と言う人口1000万人のスウェーデンが生んだ異色のストライカー、ズラタン・イブラヒモヴィッチを思い起こさせる。

 マンチェスター・シティに移籍直後はプレミアリーグのスピードとハードな当たりに通用するのかと疑問視する人もいたが、「ゴール」というこれ以上ない形で自分自身がプレミアリーグ最高のストライカーであることを証明した。デビューのウェストハム戦で2点を挙げて2-0の勝利に貢献、8月から9月にかけては、「3試合連続ハットトリック」という離れ業を見せた。その3戦目の相手はマンチェスター・ユナイテッド。シティにとって永遠のライバルである「赤い悪魔」を相手に6-3という歴史的大勝のなか、ハーランドは3得点2アシストという破天荒な活躍を見せるのである。

■日本にスーパースターは不要か?

 残念ながら、日本のサッカーはまだこうしたクラスのスーパースターを生み出していない。私自身は世界最高のレベルに最も近づいたのは1960年代の釜本邦茂だと考えているが、残念なことに彼は世界のトップリーグでその実力を試す機会には恵まれなかった。その後、中田英寿、中村俊輔、本田圭佑、香川真司らがトップクラスのリーグで「スター」となったが、「スーパースター」とまではいかなかった。

 日本のサッカーの最大の長所は「集団性」であり、全員がそれぞれの長所を生かしつつ、あくまでチームで戦うことなのだが、それはけっして「スーパースターは不要」という意味ではないだろう。世界のトップに近づこうというのなら、これまでの日本選手にはない飛び抜けた存在が不可欠なのではないか。

 ハーランドはどう生まれたのか―。彼の家系、両親の考え方、食事、育った環境、どういう時期にどのような教育や指導が行われ、どんな刺激を与えられたのか。世界の頂点で戦い続けるメンタリティーはどう養われ、彼のパーソナリティーがどうそれに寄与しているのか。ノルウェーのクラブからオーストリアへ、ドイツへ、そしてイングランドへとステップアップする過程で、どのようなことを基準にリーグやクラブが選ばれ、どのようなタイミングが適切と考えられたのか。

 もちろん、同じことをして同じ選手が得られるというものではない。しかし「個の育成」と言いつつも、日本のサッカー全体をレベルアップすることにフォーカスしがちなサッカー界にあって、「世界を圧倒する個」を目指す道があってもいいのではないか。人口550万の国から現れた新時代のスーパースターを見て、日本の指導理念そのものが問われているように思うのである。