“異端のアナリスト”庄司悟は10月18日に書籍『現代フットボールの主旋律 ピッチ上のカオスを「一枚の絵」で表す』(カンゼン)を上梓した。サッカーの監督をクラシック音楽の指揮者に見立て、タイトルにもなっている「主旋律」なる“異端用語”はどのようにして生まれたのか。カタールワールドカップの「主旋律」を見つけ出している最中にその背景を聞いた。(聞き手:石沢鉄平)
●“下手なもの”の共通点
――10月18日に小社(カンゼン)から書籍『現代フットボールの主旋律 ピッチ上のカオスを「一枚の絵」で表す』が発売されました。書籍のタイトルにもなっている「主旋律」という言葉は、そもそもいつ頃から意識するようになったのですか。
「中学生の頃からクラシック音楽をよく聴いていて、その中でも最も好きだったベートーヴェンの『交響曲第7番』の第4楽章を聴き比べしているうちに、コレクションが40曲を超えていることに気づいたわけ。それで“上手なもの”と“下手なもの”をふるいにかけていくと、“下手なもの”にはある共通点があった」
――“下手なもの”の共通点とは何でしょうか。
「結局、“下手”の基準は自分が聴きたい音がスッポリと抜けているということ。完成した曲は指揮者がチェックしているはずなのに、録音担当者が悪いのか、大事なパーツを無視していて、とにかくバランスの悪さだけが強調されてしまう。そこで、だったら、自分で聴きたい曲を作っちゃえ、と思い立った(笑)」
――楽器は持っていたんですか。
「いや、楽譜は読めないので、『交響曲第7番』の第4楽章の楽譜とシンセサイザーのソフトを購入したの。マウスで五線譜にオタマジャクシ(音符)を落とし込んでいくと、あることに気がついた。譜面のパーツ(五線譜)は22あるのに、このソフトだと最高で10しか選べない。10のパーツを選ぶ作業は、もう悪戦苦闘の連続で……。そこで、ようやく『主旋律はどこに隠されているのか』と考えるようになった。四苦八苦した挙句、満足できるものは出来上がったんだけど」
●サッカーの「主旋律」を探し出す日々
――それで、書籍の「はじめに」でも書いているように、最初から「主旋律」を知っている作曲者はズルい、というわけですね。
「そう。で、『主旋律』を見つけ出すことの大変さを痛感しているときに、ネット検索で引っ掛かったのが、声優(三石琴乃)が歌っている『私のたまごやき』という曲だった。もうこれを聴いたときは、ハンマーで殴られたような衝撃を受けた。『この子は凄い』と。もちろん、伴奏はあるんだけど、肉声だけで、要するに1つの五線譜だけで、『交響曲第7番』の第4楽章の『主旋律』を見つけ出していた。この曲と出会ってから、講演する際にはアバド指揮版、クレンペラー指揮版、マゼール指揮版と合わせて、『主旋律』とは何たるかを知ってもらうために、『私のたまごやき』を必ず流すようになった」
――なるほど。確かに彼女の「パッパラフニフニ」というフレーズはいまだ脳裏に焼き付いています(笑)。これがきっかけで、庄司さんの、サッカーの「主旋律」を探し出す日々が始まったんですね。
「そこからはサッカーの監督の頭の中、奏でようとしている『主旋律』を見つけたいと思うようになっていった。それもシンプルに『一枚の絵』で。あなたが奏でたい『主旋律』は自分にはこのような『一枚の絵』に映りましたが……と、まさに当てつけのようにね(笑)」
――ただ、その「一枚の絵」を監督に見せると、「庄司さんはライセンスを持っていない。机上の空論ではないですか?」と言われることがあると聞きました。
「今もしょっちゅうあるよ。ただ、そういうときは以下のように言うことにしている。『私はピッチに立つ必要はありません。なぜなら監督の頭の中を覗いていますから。同じレベルのライセンスはいりません。なぜならこちらもS級(庄司級)を持っていますから』と」